韓国元徴用工問題がこじれたのは日本政府が原因のタネをまいた

 昨秋に出た『徴用工裁判と日韓請求権協定』(現代人文社)を読んだ。本書の筆者らの主張に必ずしも全面的に同意できるものではないが、問題整理としては有効であり、この問題はかなり複雑で多くの人が考えているような簡単なものではないことは分かった。ただ、これを読んだ上で、私の考えを要点を述べると以下のとおりである。

・様々な詭弁を弄して、いつまでも徴用工問題が解決せずこじれるタネを撒いたのは日本側であり、これは日本側が自招した問題である。現在の日本政府の主張が韓国側に受け入れられないのは当然である。

・日本政府が詭弁を弄しはじめた元々の理由は、日本政府が国際条約を通じて放棄した、日本国民の対連合国戦災被害補償や旧植民地に残して来た財産権補償請求権の債務を日本政府が引き継がないため(=つまり政府が日本国民の外地での戦災補償責任を逃れるため)であった。

・この問題は中国の西松建設元徴用工問題に準ずる解決を図るべきである。

----------------------------------------------

 まず本書の整理によると、簡単に元徴用工ら被害者の請求権は失われたと片づけられず、現在も日本政府は戦争被害者側に戦時補償の請求権はあると解釈しているという。ではなぜ日本は被害補償に応じないかと言うと、この請求権には三段階あり、実体的な請求権 (請求権それ自体)、裁判を通して請求権を履行する権利、外交保護権 (被害者の属する政府が被害者に代わり相手政府[つまりこの場合日本政府]に対し、請求権を求める権利)の三つがあるという。そして、日本政府は1999年までは失われたのは外交保護権のみだと解釈していたが、90年代に入って海外の被害者が日本政府に補償を求めて各地で裁判を起こし、被害者側に有利な判決が出るケースが出てきたことから、2000年代に入って外交保護権だけでなく、裁判を通して請求権を履行する権利もなくなったと解釈を変えてきたという。
 そのような状況は、当然韓国側に理解されることもなく、2000年代に入って韓国の大法院(日本の最高裁に相当)は逆にこの3つの権利ともあると認めるようになった、と解釈を変えるようになってきたのが、このような結果につながっているという。

 ところで、そもそもなぜ日本は、個人の請求権は日韓請求権協定でも失われたわけではなく、外交保護権のみが失われたなどと、後々トラブルを招きかねない解釈をしているのだろうか?

〇歴史的経緯

1.「外交保護権の喪失」などと訳の分からない議論を最初に始めた日本政府

 問題は結局1952年のサンフランシスコ平和条約にさかのぼる。この条約では第14条bならびに第19条のaによって、連合国及びその国民は日本側から受けた被害や軍事費の補償請求権を放棄するとともに、日本側も連合国から受けた被害や接収された資産等の補償請求権を放棄すると定められている。これを素直に読めば連合国国民も日本国民も戦争による被害補償請求権を手放したと読める。

 ところが日本政府は放棄したのは外交保護権のみであり、国民の補償請求権自体は放棄していないと解釈した。なぜこんな訳の分からない解釈を主張したのか。

 これは当時日本側にとってこの問題は主に日本国民の戦争被害の補償をどう考えるかという観点から考えられており、日本から被害を受けた国民から補償要求が出る問題とはあまり考えられていなかったからである。

 結局サンフランシスコ平和条約や同様の規定を設けた日ソ共同宣言によって、原爆被害者やシベリア抑留被害者が、日本国の決定によって相手国への補償請求権を失わされたのだから、日本国憲法第29条3項の規定により、その分国が喪失した権利分を補償せよと訴訟を起こしたのだ。結局この責任から逃れるために国が考案したのが「外交保護権の喪失」という詭弁であった。つまり補償請求権自体は放棄していないので、あなた方が相手国を対象に訴訟する権利は残されているので、国は代わりに補償する責任は負いませんよ、というロジックであった。

2. 日韓基本条約および請求権協定でのやりとり
 高崎宗次の『検証 日韓会談』(岩波新書, 1996)の記述によると、個人の植民地支配や戦争における補償分を上乗せして補償金として支払うように要求してきたのは韓国側としている。これに対し日本側はあくまで個人の補償請求権分を国(韓国政府)を代理として支払うというのは筋が違うと抵抗したようだが、それも以上の文脈から考えると、なぜ日本側が個人の請求権分を国(韓国政府)が代理で受け取れないという主張に固執したのか理由がよく分かる。

 結局、日韓基本条約によって日本側は韓国側に実質的には個人補償分も勘案して上乗せした経済協力金として支払うことになったが、しかしこれはあくまで補償ではないとされた。おそらくのちに中国と和解する時になって、これが莫大な補償を要求される根拠になっては、という懸念からそうしたのであろうが、これがのちに日本は被害者に補償していないという議論につながる。

 とはいえ、この時点では、以上のようないきさつもあり韓国側は被害者個人の補償請求権は失われたと解釈していたのに対し、日本側は被害者個人の補償請求権は失われていないという解釈のねじれが生じていた。

3. 1990年代に旧植民地国民や対戦国民から日本政府に対し次々提起された戦災補償責任訴訟
 1990年代に入ると、韓国や中国の植民地支配・戦争被害者から日本政府に対し、次々と戦争被害補償を請求する裁判が国内外で提起された。このような訴訟は、元々日本政府はあまり想定していなかった。これらの訴訟に対して、当然ながら日本政府は、「外交保護権」の放棄は主張したものの、彼らの請求権を否定したり、訴訟を起こす権利を否定する主張は一貫して行わなかった。しかし、日本政府が個人の補償請求権を否定していなかった結果として、徐々に原告側に有利な判断が出されるケースが増えていった。

4. 2000年代に入り解釈を変えた日本政府
 このような流れに対し、2000年代以降日本政府は従来の解釈とは異なる主張をするようになった。時に個人の請求権は消滅したような主張をするなど、当初は、主張にぶれがあったが、やがて、個人の実体的補償請求権はなくなっていないが、従来からの政府による外交請求権が失われたという主張に加え、新たに個人が訴訟による解決を求める権利は失われたという主張に収斂するようになった。
 その主張を日本の最高裁が認めたのは2007年の中国人被害者による西松建設強制徴用補償訴訟であった。この時最高裁はサンフランシスコ平和条約の基本的枠組みによって、個人が訴訟によって解決を求めることはできなくなったと主張した。ただこの時最高裁は、原告敗訴の決定はしたものの、個人の実体的補償請求権は失われておらず、西松建設側がそれらの請求権に任意に応じる余地があると指摘、また被害者の苦痛を考えると、補償要求に任意に応じることが望ましいと指摘した。結局西松建設側が任意に被害者への補償に応じることで本件は和解した。

〇この問題をどう考えるべきか
 まず、日本政府のサンフランシスコ平和条約、その他の条約によっても、個人の補償請求権は放棄されていないが、政府の外国請求権ならびに個人が訴訟を通じて請求を図る権利は失われたという主張は、かなり分かりにくく、詭弁に近い論理であるように思う。素直に条文を解釈するならば、各国政府の判断により各国民の補償請求権は相互に放棄されたと解釈すべきである。各国政府は、自国民の相手国や相手国法・個人に対する権利を放棄させた代償として、各自国民の債務を引き継ぐ、少なくとも道義的責務があると考えるべきである。また日本政府に関しては憲法29条3項により、道義的責務のみならず、法的な責務が明白に存在すると考えるべきであろう。

 本書では、2007年の最高裁の判断、すなわちサンフランシスコ平和条約の基本的枠組みによって、個人が訴訟によって解決を求めることはできなくなったという主張は、相当無理がある、と批判している1)。それはまさしくその通りであるが、一方でサンフランシスコ平和条約等の国際的解決の枠組みが、相互に国および各国民の請求権を放棄することで成り立っていると考えれば2)、最高裁の主張も一定程度理解する余地があると言えるのではないか?問題は相互に自国民個人の請求権も放棄することで成り立っている枠組みを、日本政府が日本国民に対する責任を逃れるために、個人の請求権は放棄されていないと主張しようとするから、このような詭弁を弄さざるを得ない点にある。なお、日中共同声明に関しては、政府の請求権放棄に関しては論じているものの、個人の請求権に関する文面は見当たらないので、対中国に対してはこの議論は成立しない。

 但し、本書は、最高裁判断や日本政府の2000年以降の主張である、個人の裁判によって解決を図る権利を否定している点についても、世界人権宣言10条ならびに国際人権規約14条に反し、人権上問題であると主張している。この指摘はその通りであるので、この場合は当然、個人の請求権を相手国に対して消滅させた国家が、対象国に対する請求権の対象となる債務を引き継ぐものと考えるべきであろう。そうだとすれば、各被害者は自国政府に補償を求めて提訴できるので、その問題もクリアされる。

 なお、以上触れた以外に、韓国大法院が提起した、そもそも植民地支配の被害補償の請求権は日韓請求権協定に含まれるのか、という論点がある。これについて、韓国大法院では植民地支配は非合法なので含まれないという議論を展開している(本書 p. 125-6)。しかし、そもそも日韓請求権協定締結時に植民地支配は合法か、非合法化という論議に決着がついていない。したがって日韓請求権協定には合法行為に対する請求権に限るという規定もない。また、韓国政府は当初長らく、植民地支配に関する個人の請求権も含めて放棄されたと理解してきた。従って、植民地支配が合法、非合法にかかわらず、植民地支配に対する被害補償請求権も請求権協定の中に含まれていると解釈するのが妥当ではないだろうか?
 とはいえ、日韓請求権協定では、日本が韓国側に出す協力金の補償金的性格を否定している。実のところ、協力金は補償金的性格を持つにもかかわらず、おそらく、その後予想される、対中国・北朝鮮との和解の際、保証金算出根拠に使われることを畏れて、名目的にその性格を否定したのだろうが、それが逆に日韓請求権協定は植民地支配の補償を定めたものではなく、その補償は日韓請求権協定に含まれないとの大法院判決を引き出す根拠となってしまった。日韓請求権協定で、協力金は補償金的性格を持つと明確に規定していれば、このような大法院判決もあり得なかったはずである。
 つまり、この問題は日本側のその場の責任逃れの行為が、ブーメラン的に回りまわって却ってこの問題を解決困難に導いているのである。

 ともあれ、日本政府が個人の請求権は放棄されていないという主張に立つ以上(そして現在は韓国政府もその主張に同意)、韓国側の主張に関しても十分合理性があり、植民地支配の被害補償が日韓請求権協定に含まれていようがいなかろうが、韓国側の民間当事者から日本側の民間当事者が被害補償を請求されても文句は言えないのではないか。特に、個人請求権は残るが、訴訟で解決できないという日本の最高裁判断は相当トリッキーな議論であり、国内でしか通用せず、海外の裁判所がその判断に従わなくても仕方がない。
 また日韓請求権協定(ならびにサンフランシスコ平和条約)の日本側解釈によれば、民間人の請求権に関わる「外交保護権」を日本は放棄したのであり、新日鉄が韓国の法廷で敗訴したことについて日本政府がどうこう言う権利はない、ということにもなる。


1) そもそもサンフランシスコ平和条約について、個人の請求権について民事上の権利行使をすることはできない、などという文面は存在せず(同書 p. 115)、また国も2000年までそのような解釈・主張してきた事実はない(p. 116)、と指摘し、さらに世界人権宣言10条、ならびに国際人権規約14条で保障された国際法上の裁判を受ける権利を真っ向から否定するような見解は問題であり、国際的な支持を得られるわけがないと論じている(同書 p. 118,および130)。つまり国内でしか通用しない議論ということだ。当然、韓国の大法院がこの見解に従わなくても文句は言えないであろう。

2) サンフランシスコ平和条約14条b、19条a,b,c および日韓請求権協定第2条。




ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント