『主戦場』のインタビュイー、ケネディ日砂恵がすっかり右翼から裏切り者扱いされているが...(2)

 一方、映画『主戦場』でIWG報告書についてインタビューを受けていたケネディ日砂恵氏のブログを調べてみたら、彼女自身『主戦場』をめぐってさらに記事を書いていた。

HKennedyの見た世界
「映画『主戦場』で言われた「立場の変化」とは」2019.5.23
http://hkennedy.hatenablog.com/entry/2019/05/23/025622

「慰安婦を性奴隷と定義する事への反論」2019.5.25
http://hkennedy.hatenablog.com/entry/2019/05/25/151351

「政治目的を達成させる手段としての歴史」2019.5.28
http://hkennedy.hatenablog.com/entry/2019/05/28/122641

「映画『主戦場』と、言い得て妙なる保守派の『自業自得』」2019.6.7
http://hkennedy.hatenablog.com/entry/2019/06/07/155603

「「主戦場」という偏食」 2019.6.9
http://hkennedy.hatenablog.com/entry/2019/06/09/142947

「徒然なるままに、左右共に疑問ス」2019.6.15
http://hkennedy.hatenablog.com/entry/2019/06/15/083912

 5/23付の記事では、自分は歴史修正主義者であるという立場を変えていない、ただ『日本無謬論者』から有謬論者 (という用語は使ってはいないが) になっただけだ、と述べている。その通りであろう。ただこの有謬論について「これは、保守派政権である安倍政権も継承している史観だ」と述べているが、この点については疑問だ。
 安部氏は本当は『日本無謬論』に歴史認識を書き換えたいのだが、諸般の事情で書き換えきれず結果的に有謬論を当面受け入れざるを得ない立場に陥っている、というあたりが真相だろう。積極的に支持している史観ではない。

 そもそも、彼らは、『主戦場』で藤岡信勝氏がいみじくも言っていたような『日本無謬論』を主張したいが故の『歴史修正主義者』であるのであって、日本の誤謬を認める『歴史修正主義』なんてナンセンスな代物でしかない。だからケネディ氏が思っているよりも彼らにとっては彼女の「小さな立場変更」が、大きな転向に思えるのである。

 この辺りは、他のアジア系アメリカ人とも交流があり『日本無謬論』なんて通用するはずがない、ありえないと分かるケネディ氏と他の修正主義者との違いであろう。

 また、修正史観を多くの人に共有してほしければ、レイシストやセクシストに思われる言動はやめるべきだというケネディ氏の指摘も極めてまっとうだが、日本の多くの『歴史修正主義者』はそういうことが理解できないから、あるいはやはりレイシストやセクシストだからこそ『歴史修正主義者』なのだ。

 「今回の『主戦場』を観た観客のうち、立場を決めていないニュートラルな層があったとして、そのうちの何割が『日本側』に共感を覚えただろう。これはデザキ監督による偏向や編集だけの責任ではない。語れば語るだけ日本の主張の動機を疑わせるような発言を繰り返す人々が、自分の発言がどう受け取られるかを顧みずに多く語っている事が原因でもあるのだ」という主張も極めてまっとうだが、言論の存在自体を叩き潰そうという右派には理解されそうもない。

 5/28付の、軍の関与があったのは当然、という主張も、今の『歴史修正主義者』の主流は、勝手に売春業者が戦場に押しかけて民間営業ベースでやってきたという主張なのだから、これも裏切り者呼ばわりされるネタにしかならないだろう。「誰かを個人攻撃してその主張への信憑性を損なう手段は、その主張を正面から議論する自信が欠如している証拠だろう」という主張も至極まっとうだが、それが今の右翼の主要手法なのだから、右派から受け入れられるはずもない。

 また6/7の記事には、
「最後に、この映画によって左派が勢いを増した事は否めないが、この映画の上映差し止めを要求すれば、他者から見れば、右派による、気に入らない言論への弾圧とうつる。この8人の連名による上映中止を求める声は、本当に商業目的がある事が知らされていなかったからなのだろうか。藤岡氏は、契約書を注意して読まず、それへの署名を単なるセレモニーだと考えたと説明していたが、日本という国は、このような言い訳が法的に通用するのとは思えない。ちなみに私は、デザキ氏がインタビューを求めてきた段階、或いは直後から、映画祭に出品する可能性がある事、一般公開の可能性がある事を知らされていた。私はこの映画の出来、及びデザキ氏による編集に非常に不満があるが、個人的信頼を損ねたとしても、法的な契約違反だと考えた事は無い。上映中止への要求に対して、慰安婦たちへの名誉棄損で起訴された朴裕河氏も「内容がどうであれ、差し止め要請はやめていただきたいものです。出演者として、私も見たいです。問題があれば内容で批判しましょう」と言っておられる。内容への批判ではなく、頑なに上映中止を求めるならば、保守派にとって論理的主張が無いだけでなく、どんな手段を使っても異論を黙らせたい印象を与える。勿論、自由に物事を考える人々は、そういった手段に屈し、保守派の主張に同意してくれることはない。言論弾圧という暴力性に却って反発し、正反対の主張に魅力を感じるだろう」
とある。

 ケネディ日砂恵氏はデザキ氏より一般公開の可能性を事前に知らされていたと言明しているので、おそらく他の出演者も同様であろう。とはいえ、朴裕河氏の主張を引きながら、右派は言論封殺のような行動をするのではなく、きちんと反論を、というケネディ氏の極めてまっとうな主張も、右派に通じることはないだろう。

 要はケネディ日砂恵氏の主張は、今の右派のやり方は論理的に勝ち目がないので、個人攻撃や言論封殺のような手段に出ていると思われかねないので、やめたほうが良いと言っているのだが、彼女のような主張が右派に受け入れられることはないだろう。なぜなら実際に論理的に勝ち目がないのだから。

 従ってケネディ氏による右派に対する老婆心からの忠告は、右派にとっては裏切りのメッセージに感じられるほかはない。ご苦労なことである。

前回記事
https://yohnishi.at.webry.info/201906/article_5.html

『主戦場』備忘録
https://yohnishi.at.webry.info/201906/article_4.html


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