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zoom RSS トランス・サイエンスの領域 - 斎藤誠<危機の領域>より

<<   作成日時 : 2018/07/04 07:42   >>

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 トランス・サイエンスとは、斎藤誠によると「科学によって問うことはできるが、科学によって答えることができない領域」だといい、ワインバーグが1972年に提起した問題領域であるという。具体的には、科学的検証にとって不可欠な実験データが到底得られない状況という。(Weinberg, A. 1972, "Science and trans-science", Minerva 1: 209-222)ワインバーグが挙げている例としては、低レベルの放射線に被曝することで突然変異がどれほど増加するのかを高い精度で計測しようとすること (十億匹単位のマウスが必要)、原発で複数の安全装置が同時に故障して事故に陥る確率が1機あたり年1000万分の一であると検証すること (1000基の実験炉を1万年運転してデータを蓄積する必要)、巨大ダムやプルトニウム増殖炉の先端巨大技術の安定性の検証 (フルスケールの試作品で長期間のテストをしなければならない)があるという。
 これらは決して科学的に検証することができない。それにもかかわらずこの領域で何らかの意思決定をしなければならないとすれば、専門家と非専門家の間での熟議が不可欠な領域であるという (p. 350-1)。

 これらは、まさに、例えば福島原発の事故による、子供たちの甲状腺への影響のような問題であり、専門家によって、「科学的には影響があるとは言えない、検証されていない」とされるような問題領域である。

 斎藤は、科学と社会が交錯するトランス・サイエンスの領域で生じた問題の越境の仕方は、「科学から社会へ」であって「社会から科学へ」ではないと指摘する。この問題は、専門家が非専門家の協力を得ながらも、結局は社会から科学へ問題を回収する(最終的に専門家の判断に任せる)方法がとられることが多いと言う(p. 351-2)。その一方で、小林傳司や柴谷篤弘などは、科学へ再回収する方法に反対しているという。(小林傳司, 2007,『トランス・サイエンスの時代: 科学技術と社会をつなぐ』, NTT出版 / 柴谷篤弘, 1973,『反科学論: ひとつの知識・ひとつの学問を目指して』, みすず書房 )つまり専門家に任せるのではなく、社会の側に決定を任せる方向である。

 斎藤はこれらについて社会的熟議に任せることを提起する。これはトランス・サイエンスの領域だけではなく、「時間整合性」1)が求められる領域、例えば、年金等の社会福祉の世代間負担をどうするか、といった問題にも有効だとする(p. 393)。

 ただし、このような熟議を阻む大きな要因として斎藤は「行政の無謬性」を挙げる。「行政の無謬性」とは、行政の意思決定に間違いがないということを前提とする発想である。これを前提とすると、例えば原発で過酷事故が起こる可能性を排除し、考えず、想定外に追いやってしまうことになる。小林慶一郎が言う「組織の目的が達成できないときの善後策を、その組織が考えてはいけない」という一種の自己言及的論理の罠に陥ってしまう場合である(小林慶一郎, 2016,「財政の危機管理と政官ガバナンスの問題点」,『非常時対応の社会科学』: 214-234, 有斐閣)。(p. 393-5)
 また、社会の側が、行政が発するリスク情報に全幅の信頼を置いてしまうのも、行政の無謬性のもう一つの側面である(p. 394)。このような状態を行政が意思決定に織り込んでしまうと、行政決定が、危険を明示せず、危険に沈黙するという消極的な意思表示で漠然とした「安心」を与えるほうに偏ってしまうという (p. 397-8)。

 また、最近の「リーダーシップ」が乱発され、熟議が排除される状況にも批判的である(黒田総裁主導の日銀・金融政策決定会合の決定、小池東京都知事の豊洲市場移転決定、安倍首相の消費税引き上げ見送りの際の「この道しかない」発言)。

 結局、最近の日本における「リーダーシップ」待望の声は、斎藤が目指す方向とは全く正反対ということであろう。つまり国民による、自身の非ゼロリスク時代における責任放棄や、思考停止の傾向の裏返し、と言うべきか。

 あとがきで、斎藤誠は言う。<危機の領域>において熟議を通じた解決を提起するのは、市場メカニズムに対する疑問の表明だという。少なくとも<危機の領域>においては、市場メカニズムのような私的領域を最優先とするliberalなアプローチよりも、多様な人々による対等な立場での熟議を通じた公的領域で課題を解決するrepublicanなアプローチがましなのではないかと言う(p. 425)。時間整合性が要求される危機の領域では市場メカニズムは不適であるとの表明である。


1) 時間整合性とは、世代、時代 (時間) を問わず、一様に (整合的に) 考えることが求められること。例えば、自分の世代のツケを後世に回して逃げてしまわないように考えることなど。




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