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zoom RSS 映画『どぶ川学級』 1972年

<<   作成日時 : 2016/01/04 12:44   >>

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 1972年に大手映画会社が関与しない自主製作の形で作られた日本映画。本作は実話をモデルに製作された教育を扱った作品。因みに、本作のモデルになったのは、日本ロールという会社の労働争議の過程の中で、日本ロール労働組合の役員であった須永茂夫氏が、労働者家庭の子供たちの教育問題を解決しようと、組合の意向でボランティアとして開いた私塾「どぶ川学級」。監督は橘祐典。1969年には本映画の原作となる書籍も労働旬報社から発刊されている。
 なお日本ロール労組はJMIU日本ロール支部として健在のようである。1)

 本作は共産党のシンパとして知られた今井正や山本薩夫らの支援を受け制作され、監督の橘も今井や山本の助監督を務めた。そういう意味では当時の左翼的視点から製作された映画であることは間違いない。

 ただ、今井や山本の作品と比べるとやはりイデオロギー色が感じられる。その原因の一つはおそらく人物の造形が多少類型的だからだあろう。もちろん須永氏をモデルにした主人公須藤 (山本亘 扮)は必ずしも品行方正ではない。パチンコに行ったり、酒が好きだったり、しかも大学を休学して (後に中退) 労働運動に入るのも、小説のネタ探しだったり、そして労働運動に飽きると、もう大学に戻ろうかと言い出す。ただある程度紆余曲折がありながらも、結果的にはあまり葛藤なく「正しい」道を歩もうとする。さらに言えばどこかに「正しい道」があるという信念がある。これは脚本にも一因はあると思うが、橘祐典がかなり素直なキャラクターだった点も作用しているからではないか 2)。
 ただ、今日、一方で国家が言うことが「正しい」と叫ぶ輩が増える一方で、私などには「正しさ」を素直に肯定できない気持ちがある。「正しい」ことは「正しくない」のではないかと疑ってしまう気持ちに、多少の葛藤程度で「正しい」道を歩めてしまう人物造形に底浅さを感じてしまう。
 少なくとも山本薩夫の後期の作品では、「正義」であれば必ずしも通る訳ではない一方で、「悪意」や「私利私欲」だらけでも結果的に「正義」が実現するというパラドックスに自覚的であったように思われる 3)。

 もう一点は、子供たち (あるいは弱者) のためという「理想主義」を、最早今日の私たちは素直に信じることができなくなっている点である 4) 。この点についてはすでに「理想主義への不信...『コドモのコドモ』と『パリ20区、僕たちのクラス』の共通点 」(2010/08/20 http://yohnishi.at.webry.info/201008/article_8.html) で触れた。
 理想主義であっても、決して子供たちに素直に受け入れられる訳ではなく、空回りしうる、ということにこの映画は鈍感である。国家、お上の都合を押しつける事大主義に対して、反事大主義である理想主義は正しい、という素朴な信念に従っている。そこに今日の視点から見て物足りなさを感じる。

 しかし、今日「理想主義」は「偽善」的だとして否定される一方、国家や上による意思の押しつけ、「事大主義」に対しては鈍感になっているようにも思われる。上からの命令には従うのが当然だ、という発想への批判が少なくなっている。「理想主義」が素直に信じられなくなっている今日、「事大主義」でいいのか、あるいはどう「事大主義」に対抗していくのかは、非常に問題である。

 また、抜け駆け的に勉強をやることには批判的であっても、つまり個人主義的競争には批判的である一方で、「勉強ができること」が善であるという信念は揺るぎない。今だったら、場合によっては「勉強ができること」が善であるという価値観自体に対する懐疑もありうるように思う。

 ただ、やや類型的、イデオロギー的という側面を除いてみれば、本作品は、1960年代やはりこういった教育実践があり得たという記録として貴重である。そういえばかつて共産党 (民青同盟) などは貧しいが勉強のできる生徒たちを集めて、塾を開き、大学に進学させ、民青−共産党シンパを増やす活動を組織的にやっていたが、今もやっているのだろうか。

 地域、労働者の連帯の力、今風に言えばソーシャルキャピタルの豊富さがこのような実践を支えており、また労働組合が積極的にソーシャルキャピタルの拡充に努めていたということが伺える。今日では、学問的にはソーシャルキャピタル論が流行しているにもかかわらず、むしろ労働者からいかにソーシャルキャピタルを奪って孤立させ、使用者側が意のままに労働者を使うかということが図られているように思う。
 逆説的にいえば、ソーシャルキャピタル論はソーシャルキャピタルがなくなってきたからこそ意識されているものなのかも知れない。

 それと、教育映画として本作を見たときに興味深かったのは、主人公が子供たちに一日先生をやらせていること。つまり子供たちに順番に先生役をやらせて教えさせるという教育実践だが、これは非常に優れていると思った。
 生徒という役割を常に押しつけられるだけでなく、時に教師役をやることでより勉強の中身が理解できる、というのは、どこまで自覚的に行われた教育実践なのかどうか分からないが、真実であるように思われる。

1) JMIU(全日本金属情報機器労働組合)ホームページは http://www.jmiu.com/

2) DVDの付録パンフレットにある山本、今井両監督の助監督当時の橘氏の人物評を見る限り、彼はかなり素直な人物だったらしい。

3) 例えば山本薩夫の『金環蝕』はそういった視点があった。

4) このような「理想主義」への懐疑は、佐々木俊尚の『「当事者」の時代』(光文社新書, 2012)に典型的に見られる。

原題『どぶ川学級』監督: 橘祐典
1972年 日本映画 カラー 1:1.33

DVDは元々エースデュースから発売されていたが、倒産後は紀伊國屋書店から再発売になっている。ディスクはマスターも含め全く変わっていないが (クレジットはエースデュースのまま)、解説パンフが付加されている。





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