yohnishi's blog (韓国語 映画他)

アクセスカウンタ

zoom RSS ドナルド・リチー&高野悦子死去

<<   作成日時 : 2013/02/20 17:40   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 この2月は日本の映画界にとって重要な人が相次いで亡くなった。
 一人は昨日(2013.2.19)亡くなったドナルド・リチー。もう一人はその10日前(2012.2.9)に亡くなった岩波ホール元支配人高野悦子。

 ドナルド・リチー(Donald Richie)は、同じドナルドでも、ドナルド・キーンほど一般には知られていないが、日本映画の欧米への紹介に非常に功績にあった人。最近では、日本に限らず東アジア映画紹介を積極的に行っている、イギリスの映画評論家トニー・レインズにその席を譲った感があるが、かつては日本映画の紹介プログラムには必ずその名が挙がった。
 黒澤明、溝口健二、小津安二郎の紹介者として報道されているが、個人的には小津の欧米における「発見者」としての功績が一番大きいように思う。たぶん、黒澤や溝口はドナルド・リチーでなくても誰かが「発見」したと思う。とくに黒澤の作劇法は西欧のそれを忠実に踏襲しており、『七人の侍』はおそらく今日でもアメリカでもっとも人気のある日本の実写映画であろう。

 だが、小津は違う。今、小津は世界中のフィルムスクールの授業の中で必ず名の上がる監督である。おそらく小津の名が授業中に一言も出てこないフィルムスクールがあれば、それはモグリといっても過言ではない。だがそれにはドナルド・リチーの功績が非常に大きかったと思う。
 以前、多分新聞のインタビューか何かで読んだ記憶があるが、欧米の映画監督だったか俳優だったかが、日本映画で敬愛する監督は小津だと言い、さらに、妻には「いつも嫁に行くの、行かないのという話ばかりの小津映画のどこが面白いの」と言われている、と付け加えていた。確かに。ストーリーだけ見ればその通りなのだ。
 やはり、どこかの本で読んだと思うのだが、たしか小津本人も、あの松竹ヌーベルバーグなどが台頭してきた当時「変われ変われ、と言われたって、餅屋には餅しか撮れないよ」とぼやいていた、という話を読んだ記憶がある。おそらく本人も半ばマンネリズムを認めていたのだ。そして1950年代末から60年代初めの日本の映画界も小津をそう見ていたのだ。
 
 もちろん、国内では佐藤忠男や蓮見重彦も小津を論じているけれど、ひょっとすると、古臭い、マンネリと思われていた小津の中に革新性を見出した小津再評価の最大の功績者&起点は、やはりドナルド・リチーではなかったのか、と思われるのだ。

 そして高野悦子。やはり、日本のミニシアターの道を開拓した岩波ホールとそこで紹介された数々の非ハリウッド名画とともに、その名を思い出さざるを得ない。日本の映画界の多様性拡大に果たした功績は計り知れない。
 今日、シネコンの量的拡大で、日本のミニ・シアターに逆風が吹いている今日、ある意味彼女の死はその象徴であるようにも思われる。

 日本の映画界に大きな功績のあった、二人の映画人の冥福を祈りたい。

ドナルド・リチー、フィルモグラフィー(イメージフォーラム&ダゲレオ出版サイト)
http://www.imageforum.co.jp/richie/rch-flmg.html







テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
ドナルド・リチー&高野悦子死去 yohnishi's blog (韓国語 映画他)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる