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zoom RSS 「パールハーバー」と「9.11」

<<   作成日時 : 2011/09/05 00:09   >>

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 再びSeptember 11が近づいてきた。先日、「読み損なわれる『硫黄島からの手紙』」と題して、現代の日本人が、アメリカ人から見た過去の日本人イメージに関してあまりにも自覚がなさすぎる点を指摘したが、今回もその続き。
 前回の記事にも参考文献として挙げておいた、TBSテレビ「ヒロシマ」製作スタッフ編, 2006,『ヒロシマ あの時、原爆投下は止められた』,毎日新聞社の巻末近くに、原爆開発計画であるマンハッタン計画に参画したハロルド・アグニュー博士と被爆者の対話が掲載されている。この対話の模様は私もリアルタイムの番組で見て衝撃を受けたものである。さらに、「マンハッタン計画同窓会取材記」と題して、エノラ・ゲイ号の乗組員だったセオドア・ヴァンカーク氏の講演の発言内容が紹介されている。これらアグニュー博士やヴァンカーク氏の発言内容が、ほぼアメリカ市民の多数派の原爆認識と考えてよいだろう。
 日本では、日本に同情的な「自虐的」アメリカ人の原爆に対する見解が紹介されがちで、それを見て一般の日本人はアメリカ人も原爆投下に対して「反省」していると誤解する向きもあるが、そういったアメリカ人はあくまで少数派であるという事実に我々は向き合わなくてはならない。

 この中で、特にアグニュー博士が原爆投下を正当化する大きな理由として挙げたのは、パールハーバー(日本軍による真珠湾奇襲攻撃)である。日本人の一般的な感覚としてはパールハーバー如きで、原爆の悲惨さを正当化されたり、帳消しにされてはたまらない、というところだろう。だが、アグニュー博士がなぜあれほどパールハーバーにこだわるのかということを改めて考える必要があるのではないか?

 我々日本人が認識している真珠湾奇襲攻撃とは、確かにアメリカが言うように、結果的には日本の宣戦布告がきちんとアメリカに伝わる前に奇襲攻撃がなされたかもしれないが、それがきちんとアメリカ側に伝わらなかったのは不幸な事故であって、日本側としては事前に宣戦布告がアメリカ側に伝わるようにきちんと打電したつもりであって、決して卑怯な攻撃をしたつもりはない。そして奇襲攻撃という手段は単なる戦術の一つであって、宣戦布告さえ伝わっているのなら、それが取り立てて非難に値するような作戦だったとは思わない、というあたりだろう。そして純粋に戦術として考えた場合、むしろよく練って考えられた、今でも賞賛されるべき戦術であって、その戦術を考えた山本五十六はさすがだ、と思っている人も多いのではないか。

 だが同書によると、アグニュー博士は次のように述べている「(原爆で亡くなった人たちに対して申し訳ないとは)思いません。私には真珠湾が決定的でした。あまりにも多くの友人を亡くしました。謝罪はしません」「私は謝らない。彼(おそらく被爆者を指す?)が謝るべきだ。こんな言葉があります。『リメンバー・パールハーバー』」(同書p95)
 一般的な日本人なら、何が「リメンバー・パールハーバー」だ、それを口実に原爆投下を正当化して、と思うだけだろう。実際アグニュー博士に出会った被爆者も「もう少し分っていただけるかと思っていたのですが、どうしても正当化なさるんで、それが残念でたまりません」と発言している(出典 同)。筆者が当時この番組を見た記憶では、博士は、被爆者とはいえ誤った日本政府の政策を支持した責任がある(だから被爆は仕方ない)、というような発言をもしていたかと思う。また、被爆者たちが博士に会った後、「悔しい、悔しい」と嘆いていたように思う。

 ただ、アメリカ人が被爆者の感情的な重みを理解していないのと同様に、日本人もアメリカ人における「パールハーバー」の感情的な重みを理解していないのではないか。そしておそらくアメリカ人にとっての「パールハーバー」(および「カミカゼ」)とは、今日における「9.11」に匹敵する(あるいはそれ以上)ものなのではないだろうか。

 我々一般(つまりアメリカの立場と自分たちを同一視する今日の日本人の立場)にとって、「9.11」とは不気味でクレイジーなイスラム原理主義狂信者の信じがたい卑劣な行動、というあたりが一般的な理解であろう。だからこそブッシュが述べた「(卑劣な)テロとの戦い」に多くの日本人も全面的な賛同をしたのだ。
 もし、そのイメージがそのまま当時の日本人に投影されていたとしたら...?と考えてみると、アグニュー博士の「パールハーバー」への固執も理解できる。「パールハーバー」とは単に自分の「悪」を正当化する「口実」に過ぎないのではなく、実際に日本人は不気味でダーティー(卑劣)でクレイジーな存在と思われていた(今日われわれがイスラム原理主義テロリストに感じるような)、ということの代名詞なのである。勿論、理性を取り戻しアメリカの友人となった今日の日本人に原爆が使われる、という過ちは繰り返してはならない。だが、あの当時の日本人は不気味でクレイジーで、とても同じ人間とは信じられない存在だったから、原爆を使われても仕方なかったのだよ(&日系人の強制収用も...)、と博士の言葉は翻訳されるべきであろう。「テロとの戦い」は「ジャップとの戦い」と等価だったのだ。
 勿論、たとえ不気味でクレイジーな相手であっても原爆を使って良かったかどうかは別問題である。

 同様に、今日の日本人の中に、真珠湾攻撃(や神風特攻隊)を多少なりとも「手柄」とみなす感覚が残っているとするならば、アメリカにやられっぱなしだと感じ続けてきたアラブ人の中に「9.11」を、不幸な出来事とは思いながらも、ある程度胸のすくような「快事」だという感覚があったとしても、それも当然のことだと考えざるを得ないのではないだろうか。

読み損なわれる『硫黄島からの手紙』
http://yohnishi.at.webry.info/201108/article_8.html


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