テーマ:哲学

フーコー『言葉と物』の日本語翻訳をめぐって(3)

前項より続く 『言葉と物』の日本語訳をめぐって(3) そして、こちら 『言葉と物』渡辺、佐々木訳p. 103下- p. 104上 二次的言語(ランガージュ)によって解釈されるべき言葉 (パロール)の謎に、まだ中性的で特徴のない開いたままの可能性にすぎず、それを現実化し固定するのが言説(ディスクール)の任務である、…
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フーコー『言葉と物』の日本語訳をめぐって(2)

(前回より続く) さらに、こちら 『言葉と物』渡辺、佐々木訳 P83上 「古典主義時代のはじまろうとするところで、記号は世界の一形象であることをやめ、それが標識として示しているものに、類似もしくは類縁関係の強固な秘密の紐帯でつながれたものではなくなるのだ」 これは実は全く文法的には問題ない (そりゃ、そうだ。仏文学の…
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フーコー『言葉と物』の日本語訳をめぐって(1)

 最近、25年ぶりぐらいにフーコーの『言葉と物』 (新潮社版、渡辺一民、佐々木明訳) を読み直している。当時は読むのに非常に難渋した記憶があるが、再読しても、特に今 3, 4章に差し掛かっているが、やはり難渋する。何を言っているのか意味不明の個所が何か所も出てくる。だが、『監獄の誕生』( 田村 俶 訳)は、今となってはいささか用語が固い…
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『道徳感情論』第7部道徳哲学の大系について

 アダム・スミスの道徳感情論、最終部分。ここでアダム・スミスは「徳」の本質は何か、どこから生じるのかという問題を扱う。まずアダム・スミスはこの問題について従来からある三つの議論を紹介する。一つは徳が適合性1)にあるという議論、もう一つは賢明さにあるという議論、最後は、思いやり(benevolence)にあるという議論である。  但…
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アダム・スミス『道徳感情論』を読む (2)

『道徳感情論』 第三部「義務感について」  アダム・スミスは、共感と非共感の応酬 (そして人々から共感を得たいという個々人の欲望) によって一般規則たる道徳が成立 [=マルクスの用語を借りれば、物象化] するとし、その道徳が神格性を獲得して [= 同じく、道徳律の物神崇拝の成立] 人間の行為 (特に利己的激情) を外在的に抑制する…
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アダム・スミス『道徳感情論』を読む (1)

 現在、アダム・スミスの『道徳感情論』を読み進めていて、第二部まで読んだところ。ここまで読み進めて分かったことを、以下に備忘録として書いておく。  まず、アダム・スミスの発想としてあるのは、エコロジーとしての社会イメージである。社会生態学的発想とでも言おうか。あるいはある種の社会有機態説的発想というべきか。  彼は道徳、ある…
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