政府無謬神話への固執

 菅首相は、国会答弁でたびたびあるいは質問の意図をずらして見当はずれな答弁を反復していた。まさに壊れたレコードのように。昔職場にこんなトンでもジジイがいたことを思い出したが、到底、宰相の器ではないといえよう。日本の癌である。

 ところで、結局この菅首相の見当はずれな答弁、結局言葉は違えども同じことを言っているのではないか。つまり、「政府は、私は間違っていない、正しい」と繰り返しているだけなのだ。「安心安全な五輪を行う」→「政府は、私は間違っていない、正しい」、「適切に対処する」→「政府は、私は間違っていない、正しい」、「私なりにお答えしている」→「私は間違っていない、正しい」... 言葉はいろいろ違えども、結局これしか言っていないのだ。何を聞かれても、「政府は、私は間違っていない」のナントかの一つ覚えなのである。

 結局これは菅首相が、政府無謬性神話を守ろうとして躍起になっているということだろう。つまり、政府は間違わない、正しいと言い続けることこそ権力維持につながる、と考えているのである。もし政府が間違いを認めれば、袋叩きに会い、失墜すると考えているのだ。これはいわゆる「歴史修正主義者」一般に共通する態度である。決して日本の過ちを認めようとしない。過ちを認めないことが、自らの威厳と権威を守ることなのだ。そして自らの過ちを否定するためには事実の歪曲もいとわない。

 このような態度であれば、政策のエビデンスに基づいた検証などやるわけはないし、いつまでたっても同じ失敗が繰り返されるだけである。エビデンスに基づいた検証とは、政府の不都合、失敗にも誠実に向き合って、修正するということなのだから... エビデンスの検証をやらなければ、いつまでも自分たちが正しいと言い続けられるのだから...

 ただ、この菅、安部に共通する態度、分からなくもない点もある。というのは彼らは民主党政権の失敗を見ているわけであるから。おそらく、彼らは民主党政権の失敗とは、自ら過ちを認めたことにある、と総括しているのだと思う。そこから、何が何でも自ら過ちを絶対認めないことが権力維持の手段だと悟ったのだ。

 これは国民にも責任がある。失敗を認めたら袋叩きにする態度である。民主党政権しかり、舛添前東京都知事しかりである。刑事犯罪を犯したのならともかく、少なくとも、一度の失政に対しては、それを修正する機会を与えるべきであり、袋叩きにして引きずりおろすというのは間違っている。舛添は、都知事選で、間違いをただす機会をくださいと訴えたが、都民は無残にも引きずりおろしてしまった。しかし、小池百合子都知事は何をやったか。築地市場問題で散々騒いだ挙句、結局うやむやにしてしまった。ただ既定方針通り進んだだけだった。小池都知事は散々騒いで炎上させた挙句、既定方針通り進める以外何もやっていない。選んだ奴は馬鹿なのである。

 結局国民は、間違わない政治、政府を求めて、結果的に間違いを認めない政治、政府を生み出してしまったのだ。その間違いを認めない政治、政府の象徴こそが、安倍政権であり、菅政権であったのだ。

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