無常 - 1970年 日本映画

 1970年、ウルトラマンシリーズの演出で知られる実相寺昭雄によって監督され、ATGによって製作された映画。本作は1970年ロカルノ国際映画祭でグランプリを受賞し、ATGによる低予算の、実験的映画や独立映画に対する支援策の知名度を高め、1980年代まで至るATG映画路線を確固たるものにした映画でもある。
 なお、実相寺は4本の映画をATGで撮っている。但し、Wikipediaの「実相寺昭雄」の記述によると、本作こそ国際映画祭で受賞したことでヒットしたものの、後続作は徐々に観客動員数が落ちていき、スタッフと対立したこともあったという。

本作のあらすじに関してはこちらを参照
無常 - Movie Walker
https://movie.walkerplus.com/mv19153/

 Movie Walkerの記述によると主な舞台となる日野家は琵琶湖の近くに設定されているらしい(映画中では場所をくさかべ[日下部?草壁?]と言っていたが)。つまり日野家や主人公たちの知人である荻野のいる寺のある、「くさかべ」と、仏師・森のいる京都を中心に展開する。やはり実相寺がATGで撮った『哥』でも京都周辺が舞台になっていたので、実相寺は京都出身かと思ったが全く異なるようだ。生前住んでいた自宅も川崎北部にあった。
 本作は近親相姦が描かれたり、3Pが描かれたりして、そこに注目が集まってしまいがちだが、『哥』などとも考えあわせると、どうも実相寺の主たる関心(あるいは脚本家石堂淑朗の関心かもしれないが)は「家」もしくは「伝統」の継承にあるように思われる。それと非常に顕著なのは形式主義、様式主義的な発想だろう。
 形式主義、様式主義的な発想は、その円谷プロ時代の特撮作品で培われた、mise en sceneに発揮される独特のカメラワークや様式的美意識もさることながら、劇中のストーリーにも出てくる形さえ「継承」していけば、あとは構わない、という考えにもその発想の一端がうかがえるのではないか。逆に「形」さえ守っていれば、その中で個人は最大限の自由を発揮できる、そんな発想が例えば正夫と百合の子を、岩下に家を継がせることにより守っていかせる、だとか、仏を彫る仏師は必ずしも信仰に篤い必要はない (例えば正夫は仏師・森に最初にあったときに森の信仰心に対して問いかけを投げかけている)というエピソードに表れているように思われる。「形」を殻にすることで最大限発揮される個人の自由こそが、近親相姦であったり3Pに表現されているように読み取れる。

 このような形式に守られた個人の自由というテーゼを扱った映画といえば、李安 (アン・リー)の『喜宴 (ウェディング・バンケット)』(1993)が思い起こされる。こちらはインセスト・タブーではなく、同性愛関係を扱ったものだが、しかし形式的結婚を維持することで、主として在米中国人社会において中国人的伝統・体面を保ちつつ子ども(血統)と内面的性愛の自由を両立させようという話であった。ただこちらのほうは内面的自由と伝統社会との紆余曲折の衝突の果てにたどり着いた結論であったが、『無常』の方は、むしろ形式のほうが先にありき、との印象が強い。そして形式を担っていくエージェントとしての人間は、様々な思惑を持ち、そしていつか交代していき、消え去っていく無常な存在であることは明らかであるが、しかしそれらのエージェントとしての人間を擁す家システムなり、地域社会システムはむしろ永続的である(べき)、そんな感覚があるのではないだろうか。今から考えればある種、オートポエティックな感覚というべきか。そしてそんなオートポエティックな感覚を表現する舞台として京都およびその近郊が選ばれたように思われる。

 主人公の日野正夫を演じるのは田村三兄弟の田村亮。だが後年のCMやドラマに活躍していた雰囲気、イメージとは全く異なり、驚かされる。実相寺組の常連である。そしてその姉の日野百合を演じるのは司美智子。この人は1970-74年にかけて映画に出ているほか、1969-72年にかけて歌手としても活躍したようだが、詳細不明。ただ今日の基準からみるとあまり美人とは言えないが、肉感的で、能面ともよくマッチする顔立ちが良い。実相寺好みか?仏師の森康高には『24時間の情事』の岡田英二 (1920-95)。そして森の妻、森礼子には、田中三津子。この人は大映に所属し1958から1971年にかけてかなり多くの作品に出ているがやはり詳細不明。

田村亮 (日野正夫役)
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司美智子 (日野百合役)
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岡田英二 (森康高役)
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田中三津子 (森礼子役)
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 荻野は、かなりハンサムな岡村春彦。この人はWikipediaによると1935年生まれで舞台を中心に俳優や演出家として活躍し2000年代に入っても東京不知火座を設立し最近まで精力的に活躍していたようだ。岩下役は花ノ本流宗家の舞踊家である花ノ本寿(1939- )。やはりWikipediaの情報によると、1958年以降俳優や歌手としても活躍していたようであるが、本作を区切りに舞踊に専念するためにそれらの活動を基本的に辞したという。とはいえ、実相寺の求めに応じて、そのあと数本のドラマや映画に出ている。

岡村春彦 (荻野役)
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花ノ本寿 (岩下役)
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 そして端役ではあるがウルトラマンシリーズの隊長役だった小林昭三や、やはり実相寺組の常連寺田農なども顔を出している。

小林昭三 (野武士の姿をした学生役)
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佐々木功 (=ささきいさお) (森の息子、森康弘役)
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寺田農 (売春婦の用心棒役)
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 なお、インセスト・タブーを扱った日本映画は本作を含めかなり多数あるが(例えば同じATG制作の映画でいえば松本俊夫の『薔薇の葬列』、吉田喜重の『水で書かれた物語』、大島渚の『儀式』など)、欧米から見るとかなり目立つようである。そういえばインセスト・タブーを扱った欧米映画と言えば、エディプス伝説を扱っていたパゾリーニの『アポロンの地獄』が思い出されるが、パゾリーニも相当な形式主義者であったのは偶然か。日本の映画表現でインセスト・タブーが欧米より頻繁に出てくる (つまり日本は欧米よりタブー視の度合いが弱い) 理由は、古事記においてイザナギとイザナミが兄妹でありながらセックスして国を生んだという国生み伝説が描かれているからであろう。

 なお、本作はロカルノ国際映画祭でグランプリをとっているものの、実相寺の作品やATG映画は近年まで欧米で十分な関心を集めてこなかった。その一つは欧米のアート映画評論にありがちな作家主義指向がATGの役割を看過する結果を招いてしまったからのようだ。あるいは実相寺がインセスト・タブーを扱ったということが、映画祭では注目されたものの流通を阻む結果を生んだのかもしれない。

1970年 日本映画
モノクロ 1:1.37 143分
監督 実相寺昭雄
脚本 石堂淑朗(としろう)

なおビデオディスクだが、キングレコードからBlu-rayは実相寺昭雄コレクションとして4枚組が、また単品はDVDが出ている。



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