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zoom RSS 本当にアメリカは太平洋戦争終結のため原爆を投下する必然性はなかったのか?

<<   作成日時 : 2018/08/08 19:07   >>

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 よく言われる話としては、「アメリカでは原爆投下によって日本の敗戦を早めたことで、100万人を戦死から逃れることができた、という話が流布しているが、それは事実ではなかった」とか、「アメリカが原爆を投下して早く戦争を終わらせたからこそ、日本が(樺太、千島を除いて)ソ連に占領されることがなかったと言われるが、トルーマンはソ連の日本本土の占領を許さなかったので、そんなことはあり得ない」ということが言われる。

 ただ、五百旗頭 真著. 1995.『日米戦争と戦後日本』改訂版. 講談社学術文庫 (初版は1989, 大阪書籍より出版)を見ると次のような記述が見られる。

以下引用
p. 90
「なお、ちょうど日本が降伏したころ、アメリカ軍部内に日本分割占領案(JWPC385/1)が作成されていた。1974年にワシントンの国立公文書館(ナショナル・アーカイブス)で、それを初めて見た時、私は、信じられないという気持ちと、やっぱりという気持ちがあい半ばする、複雑なショックを受けた。それは日本国内でもセンセーションを呼び起こした。同案は、米軍が日本全土に進駐したあと、コスト削減のため、ソ・英・中の軍隊にそれぞれまとまった地域を任せるという、四カ国による分割占領案であった。その案はトルーマン(Harry S. Truman)大統領の採るところとならず、幻と消えるが、もし日本が本土決戦を遂行していれば、ワシントンのペーパーの如何にかかわらず、分断国家は現実となっていたであろう(詳細は、拙著『米国の日本占領政策』参照)」

p. 101-102
「アメリカ軍にとって最もショックだったのは、この硫黄島攻略戦で日米の死傷者比率がほぼ一対一の同数になったことであった。ガダルカナルでは二十三対一と、アメリカ兵一人の死傷に対して日本兵二十三人が死傷であり、しかもそのほとんどが死亡ていた。ところが戦地が日本本土へ近づいてくるにともなって日本軍の抵抗が厚くなり、レイテ島(44年10月上陸)やルソンの戦い(45年1-2月)ではほぼ五対一の割合になった。アメリカは圧倒的な優勢で戦ってこられた。ところが硫黄島の戦いに至って、この死傷者比率がほぼ一対一になったのである。
 二万三千人の日本守備隊は、捕虜になった二百人を除いて全員戦死した。組織的抵抗力がなくなっても日本兵は個々に突撃し、玉砕する。それでも死ぬ機会を得ないものは自決する。それに対してアメリカ軍は、死者は六千人だったが、死傷者を合わせると同数の二万三千人であった。この結果は、アメリカ軍にはショックだった。
 日本本土に近づくにしたがって、日本兵の抵抗は常軌を逸してくる。この調子で日本本土決戦を迎え、日本の兵隊のみならず国民までが非常識な抵抗をしたらどうなるのか。日本兵はアメリカ兵の圧倒的な火力の前に倒れるであろう。しかし、死んでいく日本兵は一人ずつアメリカ兵を道連れにする構えを示している。はたして日本本土決戦を楽観できるのかと、アメリカ側は考えざるを得なかった」

 この記述を見る限り、原爆が100万人の命を救った、というのはいささか誇張があるにしても、全くの嘘とは言い切れない。万が一本土決戦となれば数十万単位の死者が出た可能性がある(広島、長崎の死者数は21万人と推定)。広島・長崎では人口の1/3強が死んだと推定されているが、地上戦の起こった沖縄戦では人口の1/4が死んだと推定されている。本土決戦が行われたとすれば、場合によっては広島・長崎の死者数を遙かに上回った可能性も否定できない。
 また、原爆のおかげで、日本が分断国家になるのを逃れた、ということも一概に否定しきれない。

 実際には起こらなかった可能性をどう評価するか、という問題はあるものの、これらの原爆の投下を正当化する言説を単なるでたらめとは簡単に一掃することができない問題だと思う。

 なお、五百旗頭が指摘していたJWPC-385/1文書に関しては、竹前栄治著. 1992.『占領戦後史』. 岩波同時代ライブラリー (初版は、1980 双柿舎刊)によると

(pp. 22-3)
「JWPC-385/1
 この文書は私が1974年春、ワシントンの米国公文書館で発見したものであるが、私見によれぽ、資料的価値については、いささか疑問をもっていた。なぜなら、これは起案のタイミングからいって、実現の可能性がもともと乏しかったからである。
 すなわち、第一はこの時点ではマ元帥がソ連の北海道占領さえ拒否し、太平洋戦争で連合国や最も犠牲の多かったアメリカ軍による単独占領の意向をほぽ固めていた。
 第二は内容からいって分割統治に力点があるよりも、共同管理(極東諮問委員会による緩やかな共同管理)と兵力醵出計画に力点があったと思われる。しかもこの計画も、ソ連などへ依頼すれば、結局それが足がかりとなってアメリカのイニシアティプが脅かされる危険性があると考えた。当然のことながら、この計画は実行されなかったが、ちなみに、この計画の要点を紹介しておこう」

とあり、竹前栄治は実現可能性の乏しい計画だと見ていた。とはいえこれはあくまでも彼の私見である。さらに彼は、この文書に関連して、

(pp.41-2)
「それでは占領軍の構成および命令系統はどのようになっていたのであろうか。占領軍の構成についてはSWNCCで検討が進められていたが、終戦直後の八月一六日から九月初句にかけて統合参謀本部内の統合戦争計画委員会で米英中ソ四国による分割占領案(「JWPC-385」)が検討された。すなわち、北海道・東北地方はソ連、関東・信越・東海・北陸・近畿地方はアメリカ、四国地方は中国、中国・九州地方はイギリス、東京は米英中ソ四国の共同管理、大阪地区は米中の共同管理という案であった。これには兵力醸出も合わせて検討された。しかしこの案は、マッカーサーの軍事的理由と、トルーマンや国務省の人たちの政治的理由により、SWNCCに提出されることなく廃案になった。しかしソ連はヤルタ協定を理由に樺太や千島に占領軍を出し、英連邦軍も一九四六年四月から四八年にかけて中国五県および四国四県の占領に参加した(広島、山口県岩国基地などを残し、一九四八年一二月イギリス占領地域の管轄権は第八軍に返還)が、中国は内戦の進行などの圏内事情によって占領軍の派遣を中止した。結局、日本本土の占領はアメリカ占領軍が主力となった」

(p. 47)
「ところが一九四五年二月のヤルタ会談でルーズベルトはスターリンに「対日参戦と引換えに南様太の返還と千島の引渡し(管理の委任)を認めること」を密約した。しかしこの密約はごく一部の人にしか知られていなかったため日本がポツダム宣言を受諾した直後の八月一四日、米統合参謀本部は日本軍の武装解除をすべき連合国軍の分担案を作成した時、千島列島に関しては「占守島、幌筵島以北はソ連軍、温禰古丹島以南はアメリカ軍の担当」とした。この案を知らされたスターリンは、これはヤルタ協定違反とし、千島と北海道の北半(釧路と留萌を結ぶ線以北)のソ連軍の占領を要求した。この北海道北半の要求はトルーマンによって拒否された(八月一六日1九月二日の交渉)。日本はポツダム宣言(カイロ宣言の領土条項を継承)の受諾により、領土を「北海道、本州、四国、九州および連合国の決定する諸小島」に限定された。しかし、連合国による「決定」がなされる前に、ソ連軍は、日本側の要請にもかかわらずアメリカ軍が進駐しなかった「盲点」をついて、「北方四島」に進駐し占領したのである。その後一九四七年国務省が対日講和条約案を作成したとき、「択捉、国後、歯舞、色丹の四島は日本に返還させる」という案をもっていた。しかし、ヤルタ協定(南樺太および全千島の領有)が反古にされることを恐れたソ連が講和会議の手続きに反対したため、また軍部の抵抗により国務省構想は流産した。もともとルーズベルトが日本固有の「北方領土」をいかなる理由があるにせよ、領土不鉱大の原則を自らやぶって勝手に他国(ソ連)との取引の対象にしたことは、責められるべきことである。」


 と指摘している。このことから、確かに8/16-9月初旬に掛けて、日本の四カ国分割統治案 JWPC-385 は一旦検討されたもののトルーマンやマッカーサーの反対により廃案になったことが分かる。またソ連の北海道占領を退けられている。しかし、それはあくまでも 8/15 の予想外に早い日本のポツダム宣言受諾 (竹前栄治, 1992:19) があったからであって、もし日本の降伏が長引いたら、特に本土決戦に進んでいたら、例えトルーマンやマッカーサーがネガティブであったとしても、JWPC-385計画を全面的に廃棄できたかどうかは疑問である。とくにソ連軍が北海道、場合によっては東北に無理矢理なだれ込んで来た可能性を100%否定することは困難なのではないのか。そうなると簡単にJWPC-385計画を廃棄できたかどうか...

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「やっぱり原爆投下は「正し」かった!? 」 2015.8.16
https://yohnishi.at.webry.info/201508/article_9.html






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