『セデック・バレ』 - 新台湾ナショナリズムを象徴する大ヒット映画 (1)

画像 2011年の秋に公開された台湾映画。1930年、台湾の原住民が引き起こした反日蜂起である霧社事件を描いた作品。一種の台湾版「ダンス・ウィズ・ウルブズ」、否「硫黄島からの手紙」と言うべきか。右翼が反日映画だと騒いでいたので知っている方も多いだろう。監督&脚本は『海角7号』の魏徳聖(ウェイ・ドーション)。撮影は泰鼎昌、美術に日本の種田陽平、スタント演出は韓国のヤン・ギルヨン、シム・ジェヨンと台日韓のチームが力を合わせている。
 なお、映画の背景も含めて解説するために、数回に分けて載せる。


映画の背景

 日清戦争で勝利した日本は、清より台湾を割譲されたが、まず客家を中心とした漢民族の強い抗戦にあう。この抵抗規模は当時の台湾の人口を考えると、朝鮮で起こった抵抗運動を上回る規模だったと考えられる。このあたりの事情は台湾映画『一八九五乙未』に描かれている。
 日本は武力で漢民族の抵抗を抑え込んだが、しかし山間部にいるポリネシア系先住民の抵抗は続き、地形が急峻であったこともありその鎮圧にはその後も手を焼いた。これらのポリネシア系先住民の多くは首狩り(「出草」)の習慣を持ち(持たない民族もあった)、勇猛果敢で知られた。より多くの首を狩ることがより勇敢な戦士の証とされ、狩った首は家の軒先に飾られた。首狩りの対象になるのは、漢民族、および日本人ならびに他部族であった。これらの先住民は当時の用語で「蕃人」と呼ばれ(現在の台湾では「高山族」)、近代化され、漢民族と同様もしくはそれに準ずる生活習慣を持つ蕃人を「熟蕃」、伝統的な生活様式を保つ蕃人を「生蕃」と呼んだ1)。なお、霧社事件後、「蕃人」を「高砂族」と言い換えるようになった2)。
 ただし、1930年頃までには武力鎮圧ならびに理蕃政策(蕃人を教育し近代化する政策)によって多くの地域で日本支配に対して恭順の意を示すようになった。この理蕃政策には、先住民をコントロールの難しい山間地から容易な平地に移住させることも含まれていた。
 霧社は、元来先住民の抵抗の激しいところであり、1897年には深堀大尉率いる探検隊一行15名が霧社に入山したが失踪し、後に全員先住民に殺されたことが明らかになり、1902年には埔里守備隊が霧社を平定しようと侵攻するが、霧社西部の人止関にて惨敗(この場面は映画に描かれている)。霧社一体を封鎖した。
 この事態を打開しようと1903年日本軍はブヌン族カンタバン(干卓萬)蕃を操って、ブヌン族とセデック族の交易地点姉妹原に、封鎖によって欠乏した食塩をえさに、霧社蕃セデック人を誘い出し、酒宴を開き、セデック人が酒に酔ったところを見計らって、セデック人の戦士を惨殺。霧社の抵抗勢力は大幅に激減した。これを山の下にある埔里の地元民は「南(ブヌン)北(セデック)蕃大戦」と呼んだ3)。
 これにより霧社の抵抗を抑え込み、以後霧社は理蕃政策の模範地域として知られていた。これ以降、日本はなるべく蕃人と直接対峙せずに犠牲を抑え、蕃人同士の対立関係を利用し、蕃人を以て蕃人を制す戦略を採用する。その霧社で1930年に大規模な反日蜂起である霧社事件が起こったのは、日本の植民地政策にとって大きな衝撃だった4)。
 なお、先住民族の抵抗は霧社事件で終わったのではなく、最後まで残った抵抗は玉山(新高山)南部のブヌン族の一部で、1930年代末まで続いた5)。

 当時霧社周辺にいた先住民族は、映画に出てくるセデック(セイダッカ)族とタイヤル族。セデック族はタイヤル族と近く一般的にはタイヤル(アタヤル)族の一支族とされ、言語も似ており方言程度の差しかないが6)、セデック族の自己認識ではタイヤル族は異なる民族として認識されている。なお、2008年4月23日、台湾政府によって正式にセデック族はタイヤル族とは独立の単一民族として認められた(注3参照)。これにははトゥグダヤ(德克達亞)群、タウツァ(道澤)群、トロック(土魯閣)群(蜂起当時は霧社蕃、タウツァ蕃、トロック(トロコ)蕃と称していた)が含まれているが、1930年に出された『日本地理体系 台湾篇』ではセデック語話者の人口は12,645人、それ以外のタヤル(タイヤル)語話者は20,651とされているので、日本地理大系の数値には、今日政治的にはセデック族と認められていない、当時のバンダイ(万大)蕃やハック(白狗)蕃、マレッパ蕃なども含まれていたかも知れない。なお、柳本道彦の『台湾・霧社に生きる』では、霧社蕃のみがセイダッカ(セデック)、それ以外はタイヤル系として記述している。

 この中の霧社蕃は自称「セデック・バレ」つまり「真の人間」(セデック=人間、バレ=真実)、他の蕃や部族からはトゥクダヤ(=高山または深山の人)と呼ばれ、セデック族のリーダーを自認していた。しかし、この地域でもっとも勢力を誇り、また条件の良い土地を占めていたことが他の蕃の妬みを買い、仲が余り良くなかったり決定的な対立関係にあった7)。
 映画の中ではこの対立関係は、モーナ・ルダオ率いる霧社蕃マヘボ社とタウツァ蕃トンバラ社頭目タム(またはタイモ)・ワリスの対立として描かれている。また、先住民を妻にしていたという日本人警官佐塚愛祐がセデック人の恨みの対象になっていたのは、彼の妻が特に霧社蕃とは犬猿の仲であった白狗蕃のマシトバオン社頭目の娘ヤワイ・タイモを娶っており8)、そのこともあって霧社蕃の人々に余計に冷酷に対応していたためと推察される。

 なお、霧社蕃は当時、蜂起を主導したマヘボ社、蜂起に参加したホーゴ社、タロワン社、ボアルン社、ロードフ社、スーク社、ならびに蜂起に参加しなかったパーラン社(霧社蕃中最大集落)、タカナン社、カッツク社、シーバウ社、トーガン社、ブカサン社の合計12社(集落)で構成されていた9)。事件の中心地となった霧社公学校があったり日本人・漢人が住んでいた敷地(霧社)はパーラン社の最北端である。

 なお、霧社事件後、霧社蕃中蜂起に参加した社(集落)=敵蕃は全員、山を下りた都市である埔里北方の川中島(現在南投県仁愛郷互助村清流)と呼ばれる場所へ強制移住させられた。また敵蕃の住んでいた地域の一部はより不便な場所に住んでいた味方蕃のタウツァ、トロック蕃に分け与えられ、そこの人々が移住してきた。これが旧ホーゴ社であった桜社(現在仁愛郷春陽村)やボアルン社だった富士社(現在仁愛郷精英村盧山)である。

 さらに、日本は霧社事件後差別的な意味合いのある「蕃人」という呼称を「高砂族」と改めて従来の先住民政策を見直したほか、1937年の日中戦争勃発後は、むしろ台湾の漢人が大陸の漢人と連携することを虞れ、それへの牽制として「高砂族」を宣揚し、引き続き1942年に陸軍特別志願制度の設置とともに「高砂挺身報国隊員」(いわゆる「高砂義勇隊」)の募集が行われた10)。旧「敵蕃」の人たちにとってこの義勇隊への志願はおそらく第2次大戦中、米軍の日系米人二世によるいわゆる「ニセイ部隊」への志願と同様の意味があったことであろう。

 因みに、マヘボ社の跡地は現在盧山温泉となっており、後に、下に出てくるオビン・タダオが1959年に旅館を開き経営した。現在は台湾有数の観光地になっているようだ11)。

 なお、かつて敵同士だったトゥグダヤ群、タウツァ群、トロック群が併せてセデック族として民族認定を台湾政府に求めたのは、戦後国民党政権の下でトゥクダヤが抗日の英雄として祭り上げられ、タウツァ、トロックが売国奴として貶められた中で、互いに共同して少数民族として認められることで、名誉回復をしようという、かなり複雑な力学の結果であろう12)。また新しい台湾ナショナリズムが求められる中で、少数民族の全体的な地位向上・復権の動きに乗ったということもあっただろうと推測される。

登場人物

役名の下は俳優名。俳優に、台湾の戸籍名以外に民族名がある場合はそれをアルファベットで表記。なお登場人物の大半は実在の人物。

◎ 霧社蕃(トゥクダヤ)
マヘボ社(反日蜂起を主導した集落)
・頭目 モーナ・ルダオ/Mona Rudao/莫那・魯道 ※蜂起を指導した主人公
  中年期 林慶台/Nolay Pihu
  青年期 大慶/Yuki Daki

・モーナ・ルダオ長男 タダオ・モーナ/Tado Mona/達多・莫那
 田駿/Yakau Kuhon

・モーナ・ルダオ次男 バソ・モーナ/Baso Mona/巴索・莫那
 李世嘉/Pawan Neyung

・モーナ・ルダオ長女 マホン・モーナ/Mahon Mona/馬紅・莫那
 溫嵐/Yungai Hayung

・モーナ・ルダオ父 ルダオ・ルホ/Rudao Ruho/魯道・·鹿黑
 曾秋勝/Pawan Nawi

・モーナ・ルダオ妻 バカン・ワリス/Bakan Walis/巴岡·・瓦力斯
 青年期 張愛伶
 中年期 摩兒·尤淦

・マヘボ社少年 パワン・ナウィ/Pawan Nawi/巴萬・那威
 林源傑

ホーゴ社 (蜂起に参加した、花岡一郎、二郎の出身集落)
・頭目 タダオ・ノーカン/塔道·諾幹
 ※高山初子ことオビン・タダオの父
 拉卡·巫茂/Laka Umaw (阿飛)

パーラン社(セデック族中蜂起を拒絶した集落)
・頭目 ワリス・ブニ/Walis Buni/瓦歷斯·布尼

◎タウツァ(トーダ/Tada/Toda)蕃 霧社蕃と対立するセデック族の一部族
トンバラ社
・頭目 テム・ワリス / Temu Walis / 鐵木・瓦力斯
 馬志翔/Umin Boya

◎先住民警官
・花岡一郎ことダッキス・ノービン/Dakis Nomin/達奇斯·諾賓 
  ※霧社蕃蜂起集落ホーゴ社出身
 徐詣帆/Bokeh Kosang

・花岡二郎ことダッキス・ナウィ/Dakis Nawi/達奇斯・·那威 
  ※霧社蕃蜂起集落ホーゴ社出身
 蘇達/Soda Voyu

・一郎妻 川野花子/オビン・ナウィ/Obing Nawi/歐嬪・·那威
 羅美玲/Youkui Wutao

・二郎妻 高山初子/オビン・タダオ/Obing Tado/歐嬪・·塔道
 ビビアン・スー/Bidai Syulan

◎日本人
・トンバラ駐在所巡査 小島源治
 安藤政信

・小島妻 小島マツノ
 田中千絵

・霧社分室警部主任 佐塚愛祐
 木村祐一

・霧社分室巡査 吉村克己
 松本実

・討伐隊鎌田支隊総司令 少将 鎌田彌彦
 河原さぶ

◎漢人商人
・漢人交易所所長
 馬如龍

・金墩商店店主 巫金墩
 鄭志偉

セデック・バレ関連地図

画像




※参考資料: 『日治時期五万分之一 台湾地形圖新解』,2007,上河文化(台湾)
     柳本道彦, 1996,『台湾・霧社に生きる』,現代書館
     ピホワリス, 1988,『霧社緋桜の狂い咲き』,教文社
     邱若龍, 1993, 『霧社事件』,現代書館
※○のついた社(集落)は霧社事件蜂起集落、赤字はセデック/タイヤル族中霧社蕃と対立or不仲だった集落。緑字はブヌン族集落。
※ x は警察駐在所



セデック・バレ人物関係図(中国語)
http://zh.wikipedia.org/wiki/File:Seediq_Bale_cast.jpg

1)このあたりの事情に関しては、日本地理体系編集委員会編集, 1930,『日本地理体系 台湾篇』, 改造社, 台湾の人種及び言語(pp. 315-)参照。なお、当時の分類で蕃人は18(または19)民族に分類され、そのうち熟蕃が10民族、残りが生蕃であった。
2) 柳本道彦, 1996,『台湾・霧社に生きる』,現代書館, p. 8
3) 台湾国立自然科学博物館「セデック・バレ特別展」、"事件"
http://www.nmns.edu.tw/public/exhibit/2011/seediq-bale/event.htm/
4) 柳本道彦, 1996, p. 6
5) 鹿野忠彦,2002(=原著1941),『山と雲と蕃人と―台湾高山紀行』,文遊社 参照。
6) 『日本地理体系 台湾篇』, p.334
7) 柳本道彦, 1996,p. 48およびp.193-194。また下記リンクにある、阿川亭(台湾・東海大学日語日文系サイト)「『霧社事件』物語の生産、利用、そして和解?」 参照。
8) 柳本道彦, 1996,p. 48。なお、ヤワイ・タイモは1960年代に娘夫妻と日本に渡り、日本で亡くなっている(中村ふじゑ,2000,『オビンの伝言―タイヤルの森をゆるがせた台湾・霧社事件』,梨の木社, p 96)。
9) なお、正式に蜂起に参加しなかった社から、誰一人蜂起に荷担しなかったかというとそうではない。例えば、ピホワリスの証言では、霧社で最初に理蕃課嘱託菅野政衛の首を刈ったのは、霧社蕃の人ではなく万大蕃の者で日本の警察署警手として霧社で勤務していたサッポ・カハだという。彼は事件後素知らぬ顔をして警察で勤務を続けていたが、蜂起蕃川中島移住後の1931年10月15日、「帰順式」前に当局に発覚して逮捕予定者名簿に載せられていたのを日本人の友人から知らされて、奥万大渓谷に逃れ、その数ヶ月後そこで自殺したという。なおこの件に関しては原作のマンガ『霧社事件』では、実行者はスーク社のウパン・カワンだと描かれている。
 またパーラン社でも、個人的に蜂起に参加した者がいて後に発覚し、上記帰順式の日に逮捕され虐殺された模様である。(ピホワリス, 1988,『霧社緋桜の狂い咲き』,教文社, p67-9)
10) 中村ふじゑ,2000,pp.120, 139 および155-164参照。
11) 柳本道彦, 1996,p. 137
12) 阿川亭(台湾・東海大学日語日文系サイト)「『霧社事件』物語の生産、利用、そして和解?」 参照。

※先住民の人名、地名、民族表記はもともと先住民は文字を持たないせいか、日本語にしろローマ字表記にしろ一定しないケースが多い。セデック族に関してさえ、セデックだけではなくセイダッカという表記も存在し、タイヤル族にはアタヤルという表記も存在する。また霧社蕃の敵となったタウツァ蕃に至ってはタウツァ、トーダ、ターダとまちまちである。
 おそらく、セデック語を日本語で聞き取ったもの、中国語で聞き取ったもの(それをさらにローマ字表記化)で差が存在し、さらにセデック語を日本語漢字表記したものをさらに中国語読みするなどかなり混乱しているものと思われる。今回に関しては諸資料を見た上で私の独断でどの表記を使うか決めた。

本記事、以下に続く
http://yohnishi.at.webry.info/201207/article_4.html
http://yohnishi.at.webry.info/201207/article_5.html

原題『賽德克·巴萊』英題『Warriors of the Rainbow: Seediq Bale』監督: 魏徳聖
2011年 台湾映画 カラー 第一部太陽旗 144分/第二部彩虹橋 132分/国際版 154分

DVD(台湾版)情報
発行: 中芸国際 販売: 得利影視(台湾) 画面: HD1080p/16:9(1:2.35) 音声: Dolby5.1 セデック・日本語 本編: オリジナル144+132分 国際 154分
リージョンALL 字幕: 中/英 片面二層(オリジナル,特典,国際盤を含む3枚組) 2012年4月発行 希望価格NT$1550

当ブログ『セデック・バレ』関連記事
http://yohnishi.at.webry.info/201109/article_21.html
http://yohnishi.at.webry.info/201109/article_14.html

『一八九五乙未』映画評
http://yohnishi.at.webry.info/200904/article_10.html

「霧社事件」物語の生産、利用、そして和解? 阿川亭(台湾・東海大学日語日文系サイト)
http://web.thu.edu.tw/mike/www/class/GS/GS-Project/yama/mushajiken.html

2013.2付記
『セデック・バレ』2013春国内公開決定
日本語公式サイト(太秦サイト)
http://www.u-picc.com/seediqbale/







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この記事へのコメント

coco
2012年07月08日 07:22
内容に幾つの入力ミスがありますが、
お直しをお願いします。

大慶さんの族名:
Yuki Dak ×
Yuki Daki ○

映画名:
一九八五乙未 ×
一八九五乙未 ○
yohnishi
2012年07月09日 07:07
記事訂正させていただきました。ご指摘感謝します。

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