[書籍] E.J.エプスタイン著『ビッグ・ピクチャー』

 ハリウッドの、映画製作ビジネスとしての側面をえぐり出した作品。非常に面白いが、一方、映画の世界に夢を見いだしたい人には、ここまで金計算尽くで映画の設定、プロットやストーリーが決められているのかと知れば、幻滅してしまうかもしれない(特に第二部 芸術の欺瞞と欺瞞の芸術)。

 私が本書を通して知った面白い事実としては、そもそもハリウッドが西海岸に成立したのは、エジソン=GEによる映画製作に対する特許等の既得権の主張から逃れるために、東海岸ではなく西海岸に逃れてきたこと、そして初期のハリウッドの主要メンバーの大半はユダヤ人であったことなどである(第1章 二つのハリウッド)。
 ちょうど日本のパチンコ産業の経営者の多くが、かつて在日朝鮮人で占められていたのと同様に、アメリカの初期の映画産業はかなり山師的な業界であり、しかもエジソンからの特許逃れで西海岸に渡ってきたこともあって、アメリカ社会におけるアウトサイダーであったユダヤ人で占められていたというわけである。

 それとハリウッドのスタジオシステムが1947年に一旦政府の規制により崩壊していたということも初めて知った。つまりそれまで、映画製作会社が映画製作の上流から興業(映画館)に至る末端まで完全に牛耳ることで左うちわで金が右から左へと入ってくる(かなりえげつない)仕組みが、アメリカ司法省から反トラスト法違反で目をつけられて訴えられ、司法省と和解する代わりに、このスタジオブロッキングシステムの自主的解体を余儀なくされたはじまり(手始めはRKO)が1947年だったのだ。そして1957年までにスタジオシステムは完全に崩壊した。
 とはいえ、反トラスト法の対象となるのはあくまで国内取引なので、海外取引ではたとえば売れるフィルムと売れないフィルムを抱き合わせで売りつける抱き合わせ商法などの地位を利用した特権的商売は続けられたという指摘もあった。
 しかし田草川 弘の『黒澤明 vs. ハリウッド』でも指摘されたような、『トラ、トラ、トラ』を巡るダリル F. ザナックと黒澤明の確執も、ザナックがこのスタジオシステム全盛時代に辣腕をふるったプロデューサーであったことを考えると、まさに必然。スタジオ・システム下では、所詮映画監督など一介の雇われ職人に過ぎなかったのだ。逆に言えば1950-60年代の日本映画に対する国際的評価の高まりは、日本の映画スタジオが曲がりなりにも映画監督をアルチザンとして扱っていたことと切り離せないように思われる(もちろん映画監督をアルチザンとして扱わなくてもハリウッドのように市場分析を徹底すれば、それなりに名作が生まれるところが面白いところではあるのだが)。黒澤ファンの中にはもし彼が「トラ、トラ、トラ」を撮っていたら、と妄想をたくましくしている方もおられるかもしれないが、本書を読めばそんなことは100%あり得ないと断言できる。
 また、元々は左翼系の信条を持ちながらも、ハリウッドに良く適応していたエリア・カザンが「赤狩り」で仲間を次々と裏切ったのも、彼がハリウッドによりよく適応していた雇われ監督根性の持ち主であった故の必然であろう。自分の信条に固執していたらスタジオシステム全盛のハリウッドでよりよく世渡りなどできるはずがない。

 また本書はソニーの盛田昭夫を高く評価している(第2章 新生ハリウッドを作った男たち)。これは当然だろう。なにせ、ソニーが家庭用ビデオをひっさげてアメリカに殴り込みをかけたときにハリウッドはこぞって敵対した。だが、今ハリウッドの利益の大半は家庭用ビデオメディアからもたらされている。ソニーがアメリカでの「ベータマックス訴訟」で勝訴してくれなかったら、我々の映像メディア環境は今日一体どうなっていたことやら... だがそのソニーはこの訴訟の負担もあってVHS陣営に惨敗する悲劇を味わう。
 本書の中で森田は家庭用ビデオの本質はタイムシフティングだと提唱していたと指摘している。かなり早い時点からそのことに気づいていた森田はすごいと思うが、おそらく彼がそのようなコンセプトに気づいたのは「ベータ訴訟」のなかでビデオは著作権侵害機ではないと主張する中でではないかという気がする。もし森田がその訴訟の前にそのことに気づいていたとしたら、非常に凄い。
 また森田が日本人と同じアメリカ社会のアウトサイダーであるユダヤ人を偏重していたという指摘も面白かった。でも、ハワード・ストリンガーはユダヤ人ではないはずだが...(だからダメなのか...)。

 さらにウォルト・ディズニーがハリウッドのアウトサイダーであったからこそ(彼もユダヤ人ではない)、それまでハリウッドが馬鹿にしていた手法を使った新しい映画ビジネスモデルの革新者になり得た(映画関連商品ビジネス、キャラクター商法)という指摘も面白い。

 その他面白かった部分をランダムにピックアップしてみると...

・無声映画時代にアメリカ映画が世界を席巻しかけたが、トーキーが導入され言葉が入るようになると逆に言語的壁からアメリカ映画の世界シェアが低下した。

・ハリウッドのスタジオが映画を公開する宣伝費が1970年代にうなぎ登りに上っていた。このため、お互いにかぶって売り上げが落ちたり、宣伝費合戦に陥らないよう話し合いで公開時期を調整したいところだったが、このような談合は反トラスト法違反に問われかねない。そこで出てきた解決策は、ナショナル・リサーチ・グループ(NRG)という会社により、電話調査を使って、各社が公開を予定している映画のアピール度を調査し、そのデータを各社に分配して、それに応じて各社は自分の映画の公開時期を調整している。たとえば他社のライバル映画より自社の映画がアピール度で落ちるとわかれば、自主的に他社より公開時期を遅らせるなど。こうして談合なく映画公開時期を調整することが可能になった。(第4章 六社独占 および 第14章 公開日は決戦の日)

・初期の映画は大衆にアピールするため様々なステレオタイプに依存していた。しかしやがて映画はステレオタイプを作り出すことに貢献するようになった。その著名な例は、D.W.グリフィス監督の南北戦争を叙事詩的に再現した『国民の創世』であり、これによりアメリカ黒人のイメージおよび南部の保守的な白人のイメージが定着。これをみた当時のウィルソン大統領はフィクションに基づいて描かれたシーンにいたく感銘を受け次のように述べたと伝えられる。「稲妻のように鮮烈に歴史を描いている。唯一遺憾なのは、そこに描かれたものがまぎれもない真実だということだ」

 現代の映画も多くはプロデューサーの頭に植え付けられたステレオタイプに基づいて描かれるが、その多くは前の世代の監督、脚本、プロデューサーが描いたものをリサイクルしたもの。
 また映画で描かれた設定が、後の政治的、社会的事件のマスメディア等による解釈に影響を与えることも多々ある。(第29章 ハリウッドからみた世界)

・「人類の進歩」という概念は18世紀後半にフランスのコンドルセによって初めて提起された。(エピローグ 過去と未来のハリウッド そのオリジナルはFrank E. Manuel.1965."The Prophets of Paris: Turgot, Comdorced, Saint-Simon, and Comte".New York: Harper Torchbooks. pp62-66)

・ハリウッドに対する様々な介入には反ユダヤ主義が見え隠れする。一方ハリウッドも村社会的に縁者びいきで対抗する(第23章 ムラ社会の本能)。

 この章で描かれるハリウッドのユダヤ人コミュニティの動きは、先日紹介したフランス映画『嘘ついてもいいですか』にそっくり。

原著 Edward Jay Epstein. 2005. "The Big Picture: The New Logic of Money and Power in Hollywood"E.J.E. Publication Inc.
翻訳 塩谷紘訳.2006.『ビッグ・ピクチャー: ハリウッドを動かす金と権力の新論理』.早川書房

『嘘ついてもいいですか』映画評
http://yohnishi.at.webry.info/201112/article_13.html

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