正当な評価が望まれる、中国大規模歴史映画の始祖 『異聞・始皇帝謀殺 (秦頌)』

画像 1996年の中国映画。国内では劇場公開ではなく、VHSスルーになった作品だが(発売元日本ヘラルド、発売2000年8月)、もはやレンタルビデオで探すのは困難であろう。国内タイトルからだと、陳凱歌の『始皇帝暗殺』と同工異曲のようだが、それよりも始皇帝と音楽家、高漸離とのねじれた友情を描いた作品。

 映画の冒頭、死を間近にした秦王、嬴政[ユン・ジョン](姜文)は、「音楽は卑しい。私の死後、音楽を尊ぶものは殺してしまえ」とつぶやき、楽器を黄河に生け贄として次々と投げ込んでいく。その由来は...
 嬴政(子役: 田璐)は燕の国で生まれてから12歳まで人質として暮らした。彼は高漸離[カオ・ジアンリ](子役:王鵬)の母を乳母とし、高漸離と兄弟のように育ってきた。彼は人質として何度も危ない目に遭ってきたが、その彼を勇気づけたのは、幼い頃から音楽の才能を発揮した高漸離の歌だった。だが嬴政は12歳の時、他の秦の人質が次々と殺される中、王子であった彼だけは命を助けられ、秦に送還される。送還される時嬴政は兄弟のように育った高漸離を連れて行こうと馬車に乗せる。だが嬴政が眠り込んでいる隙に、高漸離は部下の手によって馬車から追い落とされてしまった...
 それから数十年、秦は周辺の国々を次々と滅ぼし、中国統一の最終局面に来ていた。次は趙に攻め入るか、燕に攻め入るかと論議していた時に、嬴政は突然予定を変更して先に燕に攻め入ることにする。なぜなら燕には高漸離(葛優)がいたからだ。
 燕陥落の最終局面で、燕王は何とか嬴政を亡き者にしようと、嬴政と幼なじみで音楽家として高名であった高漸離を刺客として送ることを考える。だが高漸離は拒否。やむを得ず、荊軻(李夢男)を降伏の使者に装って刺客として秦の宮廷に送り込むが、暗殺は失敗する。怒った嬴政は一気に燕を蹴散らし、多くの燕の兵を奴隷として連行してくるが、その群れの中に高漸離もいた。嬴政は高漸離だけは丁重に迎えるよう部下に命令したが、秦に着いた高漸離が嬴政が最も溺愛する娘である王女、櫟陽[ユエヤン](許晴)を指して、「この国は売春婦まで威張りくさるのか」と言ったことで、怒った部下が彼にも奴隷としての焼き印を押す。
 嬴政は幼なじみで音楽家としての才能の高い高漸離を宮廷音楽家に指名し、秦の国歌(=秦頌)を作らせるつもりであったが、高漸離は嬴政の燕の人たちに対する残虐な仕打ちに対して抗議する意味でそれを拒否し、飲食を拒否して死のうとする。嬴政は部下に命じて何とか高漸離に食事をさせて命を救おうとするが上手くいかない。そこで櫟陽が「女には手段がある」と高漸離に食事をさせる役を買って出る。
 櫟陽の努力の結果、高漸離は生きるつもりになり、食事をとるようになったのだが、それは同時に高漸離と櫟陽がお互いに憎からず思うようになる過程でもあったのだ。だが嬴政は中国統一の後には部下の将軍、王翦[ワンジェン](邸國強)の息子(王寧)に櫟陽を嫁がせる約束をしていたのだ。
 そして、嬴政の思惑にも拘わらず櫟陽と高漸離はついに通じてしまう...

 今日の中国映画では、『レッドクリフ』などの大規模予算のブロックバスター映画が競作するような状況となっているが、15年前は全く状況が異なっていた。1980年代後半から中国第5世代監督作品が中国映画ニューウェーブとしてもてはやされる状況ではあったものの、欧米から比べれば小規模予算の「アート」映画が中心であり、資金的にも大規模映画の製作は困難な状況だった。 本作は、今日の中国大規模予算ブロックバスター映画の先駆的存在であり、本作以後外国などからの投資も受けた大規模予算映画が中国にもボツボツと登場することになる。もともと周暁文監督は、中国で有名な劇作家で彼の友人である蘆葦が、彼のために脚本『血築(Blood Construction)』を書いたことがきっかけでその話を映画化したいと考えていた。この脚本は二人が映画『黒山路』撮影中、ぜひ中国の歴史的な始皇帝を題材にした映画を撮りたいと考えて苦心して書いた脚本であった。
 この脚本は中国映画界の中で高く評価されたものの、当時の中国映画界としては類例のない大規模予算が必要になると見込まれ、リスクを犯してでも投資しようという者が現れなかったため、実現の見込みがつかなかった。
 だが周暁文監督の『麻花売りの女』および『紅おしろい』を香港の大洋影業が配給することででと付き合いができ、同社が『血築』の映画化に関心を示したことで実現のめどがついた。これが本作として結実したという(以上DVDにあるDatabankの記述を参考にして執筆)。

 今日中国の歴史ものブロックバスター映画といえば『英雄』『レッドクリフ』など壮大なセットと、欧米映画では今日考えられにくい大量のエキストラを動員した兵士がずらっと並ぶ場面や戦闘場面で圧倒するというのが定番だが、本作はまさにその先駆け。とは言えそのような場面は今から見るといささか抑制的ではある。しかもスケール効果の大きい1:2.35ではなく1:1.78ビスタサイズの画面。しかし焦点距離が長めのレンズで、離れたところからこれらの大量の群集をスケール感を出して捕らえていくカメラワークは、おそらく現代中国映画の中では本作がその始祖か。ちなみにカメラマンは本作を製作した西安映画製作所の呂更新で、彼は『麻花売りの女』で周監督と組んでいるほか、最近ではセルゲイ・ボドロフが監督し、日本の浅野忠信も出演した『モンゴル』でも撮影ユニットを任されている。
 そして、キャストは今日中国を代表するトップ男優に成長した姜文と葛優。
 ドラマの内容自体は司馬遷の「史記」にある記述をある程度沿ってはいるものの、かなり設定が変わっており(例えば嬴政が燕の人質だったなど)、歴史的バックグラウンドを借りたフィクションと見るべきだろう。本作のメインコンセプトを考えると邦題は疑問。とはいえ皇帝の権力をしてもままならない、音楽の才能と二人の微妙な力関係の駆け引きのドラマは人間ドラマとしてなかなか面白い。
 国内では画質の悪いVHSビデオスルーになってしまったが、この作品はぜひ高精細な大きな画面で見ないとその価値は半減以下。国内では正当な評価を受けようもないだろう。本来はフィルムで見るべきだが、せめて香港盤DVDをプロジェクター投影で見るべき。できればBlu-rayリリースを期待したいところだが。
 国内では、陳凱歌の『始皇帝暗殺』の亜流のような紹介のされ方をしてしまったが、個人的には陳凱歌作品よりは本作の方を買いたい。現代中国映画における大スケールの娯楽歴史映画の始祖として正当に評価されるべきだろう。中国映画界においては、『ラスト・エンペラー』(1987)のような海外資本による合作映画、あるいは『覇王別姫』(1993)のような国際映画祭で高く評価されたアート系大作など、「画期的」映画と言えども複数が乱立する中で、本作の位置づけは、例えば韓国映画における『シュリ』のように突出するわけでもなく、(特に日本では)やや埋もれてしまっているように思われるのだが...

 海外盤DVDは少なくとも米国盤(Fox Lorber)、香港盤、韓国盤、台湾盤が出ているが米国盤、台湾盤、韓国盤ともにレターボックス収録なのでお勧めできない。2008年1月リリースの香港盤のみが購入に値する。香港盤の解像度は、NTSCとしてはかなり優秀で、大きく投影すればかなりスケール感のある画像が楽しめる。また、フィルムスクラッチはほこりなどもほとんど取り除かれており、デジタルリマスターと思われる。ただやはり長玉を活用した遠距離画像ではもうちょっと解像度があればなぁ... と思わされる。ただこのあたりはDVDのフォーマット的限界だろう。ただし画像の彩度はあまり高くなく、全般にちょっとくすんだ抑え目の印象。派手めのカラーが多い香港盤のなかでは珍しい。ただ中国の乾いた大地を表現するため意図的に抑えたのかもしれない。ここ最近は香港盤の画質的優秀さを実感させられるディスクに出会うことが多い。

原題『秦頌』英題『The Emperor's Shadow』監督:周暁文
1996年 中国=香港映画 カラー

DVD(香港盤)情報
発行・販売 美亜娯楽 画面: NTSC/16:9(1:1.78) 音声: Dolby5.1/2 北京語 本編:125分 リージョンALL
字幕:中/英(On/Off可) 片面二層(2枚組) 2008年 1月発行 希望価格HK$110

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この記事へのコメント

14GF(ゴールドフィルド)
2012年07月09日 17:18
極彩色と温かみのある色彩に期待して見たのですが、始皇帝暗殺はつまらなかった記憶があり、二度見て二度とも退屈しました。始皇帝の演技が大仰でわざとらしく、コントの様で威厳が感じられず。
コン・リーも大して上手くなく、物語の中に入っていけませんでした。張豊毅は存在感がありましたね。
yohnishi
2012年07月09日 18:51
コメントありがとうございます。
『始皇帝暗殺』は陳凱歌初めての国際的な大型ブロックバスター映画で、気負いすぎた、あるいは環境に飲まれたという感じがしますね。映像自体はすばらしかったのですが、その分演技の演出がおろそかになってしまったという印象でした。

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