力強い名作 『糞バエ(息もできない)』 -韓国映画-

画像 バイプレーヤー俳優として主に活動してきたヤン・イクチュンの初長編監督作品でインディーズ映画として製作された。本作品はロッテルダム国際映画祭他、国際的に高い評価を得た作品だが、それも納得の名作と言える。

 舞台はソウル南西部、工場労働者地帯の九老から低所得者が住むタルトンネが広がる冠岳区付近。金融業者の取立てをやっているチンピラ、サンフン(ヤン・イクチュン)。債務者から情け容赦ない取立てで実績を上げ、何の怖いものなしの生活。だがそんな彼も、いやそんな彼だからこそ、心に大きなトラウマを抱えていた。それは家庭内暴力の記憶である。
 サンフンが幼い頃、父は母にたびたび暴力を振るっており、家族全員それに怯えていた。ある日その父を止めに入った妹を父は勢い余ってナイフで刺してしまう。妹を病院に連れて行こうと背負って走り出したサンフンの母は追おうとするが、そのとたん交通事故に。結果的に母と妹を同時に失うとともに、父は懲役15年の計を宣告されたのだった。懲役から帰って小さくなって暮らしている父に、サンフンは怒りのあまり辛く当たるのだった。
 そんなサンフンはある日偶然に女子高生ヨニと道端でけんかになる。彼に対して怖気づかず、向かってくるヨニ(キム・コッピ)に彼は好感を持つ。だが、ヨニもサンフン同様家庭に問題を抱えていたのであった。
 ヨニの父は元ベトナム従軍軍人。しかし退役後ベトナム戦争のPTSDのため精神に以上をきたし現在は年金が頼りの暮らし。母親はそんな暮らしを少しでもよくしようと屋台をやっていたが、借金取りに押しかけられ屋台はめちゃめちゃにされて母親は殺されたのだった。ヨニの兄ヨンジェは高校卒業後も定職につけずぶらぶらし、家計を管理している妹に金をせびる始末。しかも彼女は家庭内の家事を一手に引き受けても、父からも兄からもちゃんとした評価を受けることができず、やはり半分自暴自棄になっている。こうしてお互いに同じ相通じるものを感じた二人は徐々に連絡を取り合うようになっていく。

 そんなサンフンにとって唯一家族らしい家族と言えば姉のヒョンソと彼女の息子ヒョンイン。姉はかつて結婚していたが、やはり夫の家庭内暴力のため離婚して息子との二人暮し。サンフンにとってはそんな姉家族と関わりあうのが唯一の人間らしい付き合いだった。やがて姉の家にヨニを連れて行くなど、サンフン、ヒョンソのヨニの間が徐々に縮まっていく一方、それとはまったく別にぶらぶらしていたヨンジェはひょんなことからサンフンの元で働くようになる...

 ネット上の映画評を見ると、イ・チャンドン監督の『グリーンフィッシュ』にも似た...というような形容詞が被せられているケースも見る。確かにストーリー的には似ている部分もあるのだが、映画としてのテーマは全然別のところにあると見るべきだろう。『グリーンフィッシュ』は近代化の急速な進展によって失われていく郊外の土着的なもの、それを回復させようと、近代的なプロモーション回路(学歴)のオルタナティブ(=ヤクザ)を選択して何とか浮上しようとあがく青年を描いている。そういう意味ではかなり社会的な視点が明確な作品である。しかし『糞バエ』では家庭内暴力とPTSDの連鎖を描き、『グリーンフィッシュ』とは対照的に、個人的、心理的な視点から掘り下げた作品になっている(アップ、バストショットの多用がその色彩をさらに強めている)。そういう意味では『グリーンフィッシュ』よりも平山秀行の『愛を乞う人』の方により近いと言える。

 主人公サンフンは父親の家庭内暴力がトラウマとなっており、それが現在の暴力的な仕事、生活態度に結びついている。それは同時に自身に対する自己否定の裏返しでもある。しかし、ヨニに出会い、さらにあれほど嫌悪した父親の死を目前にして、父親への愛情を自分自身で認められるようになったことを通じて初めて自己を肯定的に見られるようになったその瞬間...
 そして、サンフンを精神的に救う役割を果たしたヨニ自身も、暴力と貧困を通して自己否定的であり自暴自棄的であった生活が、サンフンに必要とされることを通してやはり自分自身を肯定できるようになっていく。
 だが、誰でもが上手く自己肯定を可能にして暴力の連鎖から抜け出せられるほど世の中甘いわけではない。その象徴がヨニの弟ヨンジェであり、彼は彼の母親が受けた暴力をそのまま世間にし返す道を選択することになる。

 監督のヤン・イクチュンは付加映像のインタビューによると映画監督になりたくてこの映画を製作したわけではないという。むしろ演技生活だけでは、自分の抱えているもどかしさを晴らすことができず、何とか晴らしたいと思って出口を探索した結果がこの作品の製作だったのだと言う。どうやら彼自身、この映画に描かれたような家庭内暴力の経験とそれに対するトラウマ、PTSDを抱えており、それを何とかして晴らしたい、自分の抱えている苦しみを終わりにしたいという一念で本映画を製作したようだ。
 しかし、インタビュー映像で見る限り監督本人は極めてユーモラスな快活な人間であり、そのような影を抱えていた人物とはとても思えない。いやむしろそのような境遇を克服しようとして意図的にユーモラスでいようとしているのかもしれない。
 そういう意味では本作品はすさまじい心の叫びの映画と言えるだろうし、本作品の持つパワーもそこから来ているのであろう。

 本作品は、日本未公開だが、11月の東京フィルメックスで上映が予定されている。また来年春ビターズエンド配給で一般劇場公開される予定。因みに韓国での観客動員数は約14万人程度だったようだ。インディーズ映画としては健闘した方だが、一般商業作だと最近では100万人程度動員しないとヒットとは言えないので、それに比べるとまだまだと言える。また最近では、やはりインディーズ映画として企画されたドキュメンタリー映画『牛鈴の音』が300万人弱動員を記録している。

原題『똥파리』 英題『Breathless』 監督:양익준
2009年 韓国映画

DVD(韓国版)情報
発行・販売:Ein's M&M 画面: NTSC/16:9(1:1.85) 音声: Dolby5.1 韓国語
本編: 130分 リージョン3 字幕: 韓/英 片面ニ層(2枚組) 2009 年 9月発行 希望価格W22000

他の韓国映画に関する記事
http://yohnishi.at.webry.info/theme/fc194a0a1f.html

国内公式サイト(ビターズエンド)
http://www.bitters.co.jp/ikimodekinai/

goo映画『息もできない』
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD15694/index.html

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この記事へのコメント

K
2009年11月11日 13:31
昨日観ました。暴力の連鎖が「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を思い出しました。監督自身の心の叫びだったんですね。どんな言葉も、この映画を伝えられないと自分の語彙力の低さにあきれてしまうくらい、いろんなものを伝えてくれた映画でした。日本でヒットするといいのですが・・。
yohnishi
2009年11月13日 21:08
コメントありがとうございます。ヒットは難しいかもしれませんが、伝わるべき人に伝わってほしいですね。

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