民族クレンジングを批判する反戦映画 『目撃者(Svjedoci))』 - クロアチア

画像 本作品はクロアチア紛争(旧ユーゴスラビアの構成国であったクロアチアとセルビア間の紛争 1991-95)における民族間の憎悪と反目を批判的に扱った反戦映画。日本未公開。

 映画の舞台は1992年、セルビアとの紛争の前線にほど近いクロアチアのある町。3人の酔ったクロアチア人兵士が、セルビア人への報復として、その町にあるセルビア人金貸しの屋敷を爆破しようとやってきた。ところがその屋敷にはまだ本人が住んでおり、酔った兵士たちは彼を射殺してしまう。3人の兵士の一人ヨスコの父親はセルビア人との戦闘で戦死し、3人の兵士は彼の遺体を自宅まで送り届けた直後の出来事であった。
 実は殺されたセルビア人の金貸しは別れたクロアチア人の妻との間に一人の娘がおり、元妻と娘は出国していたのだが、たまたまその日、娘は父親に会いに来て殺害現場を目撃したため、3人の兵士は彼女を地下室に監禁する。
 翌日事件は発覚し警察が捜査にやってくる。しかしセルビア人である上に高利貸しであると云うことで町の人から憎まれていた彼の事件の捜査に対し、周囲の住民は殺されて当然との態度。警察もやる気がないのだった。ただ一人刑事のバルビルだけがまじめに捜査に取り組んでいた。
 3人の兵士はヨスコの母に頼み、市長に何とかうやむやにして貰う様に取りはからって貰う。市長は目撃者さえいなければ事件はないも同然だ、心配するなと言って市庁舎に戻る。
 その一方、バルビル以外に事件解決に取り組もうとする人物がいた。女性ジャーナリストのリージャである。彼女はヨスコの兄クレソと恋仲であるが、彼らの母親からは気に入られず微妙な立場。しかもクレソは徴兵され、戦場で怪我をしたという噂で心が安まらない状況。彼女は現場に人形が残っていたり、砂糖をまぶしたコーンフレークが残っていたことで、彼の娘が帰国しており事件を目撃したのではないかと疑う。しかし誰も娘を目撃したものはなかった。そんな矢先クレソが片脚を失った状態で突然帰ってくる(実は後に明らかになるが、彼が片脚を失ったのは同じ部隊で行動していたヨスコの不注意な行動が原因だった)。彼女は事件の話をクレソにするが、セルビア人が殺された事件なぞにまじめに取り組む必要はないとにべもない。
 しかしクレソが、自分の家に帰宅してみると、弟らが父親の戦死の報復として殺した事実を知る。そして目撃者である少女を監禁している事実も。そのことを知った彼は果たして....

 このような流れを丁度黒澤の『羅生門』のようにヨスコの視点、母親の視点、刑事の視点、リージャの視点、クレソの視点と同じ時間が何人もの視点で語られる中で徐々に真相が明らかになっている(上に紹介した前半のあらすじは、各者の視点の違いを整理した上でストーリーを時系列的に整理し直したもので、映画の進行とは異なる)。

 この映画の登場人物の多くは感情 - 憎しみに突き動かされてて行動する。ただ誠実に職務をこなそうとするバルビル、そして例え憎むべきセルビア人であっても(セルビア人といえども国籍はクロアチアである筈)、非戦闘員である民間人を惨殺して良い理由があるはずがないと信じるリージャのみが、本来あるべき法規範に忠実に行動しようとする。 しかし憎しみの感情は民族の間にあるだけではない。個人の間にもあり得るのであり(そもそもクロアチア人とセルビア人は宗教と使っている文字が違うだけで1)日常生活面では殆ど同じなのだ)、後半に民族的憎悪感情と個人間の憎悪感情を交錯させることで、感情に基づく行動および感情に基づく行動解釈がいかに不毛であるかが徹底的に提示するなかで、民族クレンジングを正当化するロジックや感情を批判していく映画で、このあたりの構成はかなり巧みである。

 本映画の提起する課題はかなり重い。この映画では、人を憎むな、仲良くしようなどという歯の浮く様なヒューマニズムのメッセージはない。民族や人を憎んでしまう感情はコントロールできないし否定しようにも否定できない。そういった状況がそのまま提示される。しかし、いや、だからこそ法というロジックで定められたモラルを守ることが重要なのだ。憎いかも知れない。でも、だからこそ非戦闘員である市民をむやみに殺してはならないという法モラルは守られねばならない。そこが外れてしまえば憎悪と殺戮の応酬しか残らないのだから...ヒューマニズムからではなく、ロジカルなプラグマティズムに基づく、まさに冷徹なモラルの極北が提起されているのだ。

 なお、本作品の構成は高度に論理的かつ時間軸の交錯も激しいので、台詞がきちんと読み取れないと意味不明になる可能性が高い。字幕が長い割には流れる速度が短いのでそのまま見流しては理解に結構厳しいものがある。またヨーロッパでは常識となっている、クロアチア紛争の経過や背景に関する最低限の知識も押さえた上で鑑賞しないと、映画が何を言いたいのはさっぱり分からないということになりかねない。

 監督のヴィンコ・ブレシャンは1964年ザグレブ生まれ。1996年『僕の島でどうやって戦争は始まったか』で長編デビュー。この作品はクロアチアで大ヒットした。さらに1999年『チトー将軍の魂』で2000年のベルリン映画祭でウォルフガンク・シュタウデ賞を受賞。本作は長編3作目。また本映画の原作はジュリカ・パヴィチッチの小説『大理石の羊』で、彼は脚本にも参画している。但し原作は映画の様に時間軸が入り組んだ構成ではないという。2)

1)クロアチア語とセルビア語はほぼ同一で言語学的にはセルボ・クロアチア語と称されることが多い。ただクロアチア語はローマ字、セルビア語はキリル文字を使う点が異なる。さらに生物学的民族面でも同一であり、ただ宗教面で両者ともキリスト教徒であるが、クロアチア人はローマン・カトリック、セルビア人は東方(スラブ)正教会であるという違いに過ぎない。

2)下記のFilm Movement URLからダウンロードできるプレスキットより。

原題『Svjedoci』英題『Witnesses』監督:Vinko Bresan
2003年クロアチア映画

DVD(US版)情報
販売: Film Movement 画面: NTSC/16:9(1:2.35) 音声: Dolby2 クロアチア語 本編: 88分
リージョン: ALL 字幕: 英語(On/Off可) 片面一層 2005年1月発行 希望価格$19.95
※筆者が入手したバージョンはDVD-Rバージョン。しかも一旦ハードディスクに落として再度DVD-Rを焼き直さないとDVDプレイヤーで再生できなかった。ISOイメージを作らずにいきなり焼いているというお粗末だが、一応商品でしょう...

Film Movement作品紹介ページ
http://www.filmmovement.com/filmcatalog/index.asp?MerchandiseID=24


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