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zoom RSS 築地市場移転反対論は感情論か? - 斎藤誠著『<危機の領域>』より

<<   作成日時 : 2018/06/26 18:14   >>

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 斎藤誠著『<危機の領域>: 非ゼロリスク社会における責任と納得』(2018, 勁草書房)を読み始めているが、なかなか面白い。

 この中で築地市場移転問題がケースの一つとして取り上げられているが、一見、感情論、あるいは「予防原則の暴走」と見られる本件においても、この問題を丁寧にみていくと、必ずしもそうは言えない、むしろ反対論にも十分根拠があると著者はいう。

 2017年に環境汚染の専門家である中西準子氏が、小池知事の豊洲市場移転ストップについて、批判的な見解を発表した。つまり、豊洲のベンゼロ汚染をゼロにするという議論は、対費用効果的に疑問であるし、直接地下水を飲料水として使うわけでもないのに、その基準値を当てはめるのはナンセンスである、また豊洲の決定過程も土壌汚染対策法に照らして合法的である、との見解である。いわゆる「予防原則の暴走」の一例、というわけである。著者はこの見解に触れて、さすが専門家の見解と、深い感銘を受けたという。

 ただ、よく考えてみると三つの疑問が浮かぶという。

1. なぜ東京都と住民との間で、全敷地の地下水について飲料水並みの環境基準を満たすことで合意したのか?

2. なぜ汚染原因者(この場合は東京ガス)の負担の原則が適用されなかったのか?

3. 中西らは環境基準は実際に被害が想定されるよりはるかに厳しく設定されているから安全だと主張するが、だったらそもそも環境基準を緩和してもよいはずである。なぜ環境基準は厳格に立てられるのか?


 まず2については、東京ガスによる汚染対策が不徹底な段階で(東京ガスは土地が汚染対策が必要であることは公表していた)、東京都が先走って土地を購入してしまったので、汚染対策が原因者負担の原則から、公共事業型へと転換してしまった、という。仮にこの時に市場相当価格で買い入れたとしたら、本来追加汚染対策が必要な土地の費用負担を不当に原因者から東京都に移転してしまったことになる。

 1に関しては、元々専門家会議は、敷地全体の浄化は無理で、ただ、建物直下の地下水のみベンゼンの気化を配慮して環境基準の順守を決めていた。従ってこの時点では「予防原則の暴走」との批判は当たらない。
 しかし、その後東京都は専門家会議の結論を大きく踏み越え、全敷地地下水の(飲用水としての)環境基準達成までの浄化を決定する。それは当時の農水省が、土壌対策汚染法での形質変更時要届出区域 (浄化しないで管理することが法的に認められる区域)は、食品を扱う卸売市場用地として不適当であるとの見解を取っていたためであった(p. 55)。
 専門家会議からは、全敷地の環境基準達成は本当に可能なのかという疑問の声も出ていたが、東京都は基準達成に自信を示す。そして結果的に、専門家会議もそれにお墨付きを与えてしまった。この結果、すべての計画が、全敷地が汚染されていないとの前提に立った、つまり汚染対策はすべて不要との前提に立って、市場の計画が進められてしまった。即ち「安全基準を環境基準にまで引き上げることによって、敷地全体の安全性がかえって危ぶまれるような本末転倒な事態に陥ったのである」(p. 58)。汚染を前提としていればできていた対策も、できていない状態になっていた、ということである。

 したがって中西の指摘がいかに(一般論として)正論であったとしても、社会的文脈を大きく踏み外したものだったと著者は指摘する(p. 63)。だから、専門家がいくら飲料水としての環境基準を適用すべきでない、等と指摘しても、関係者が決して納得しないのは当然だと筆者はいう(p. 64)。また、今回のケースが「予防原則の暴走」のケースに当てはまらないということは明確にしておく必要があるとも指摘している(p. 71)。

 また、3については、四大公害事件が明らかになった後問題になったのは、「公害被害の因果関係が一般的に証明されても、個々の病状について因果関係の認定が極めて困難になるという冷徹な事実」(p. 72)であり、これは「健康被害を引き起こす可能性のあるあらゆる有害物質について当てはまる」。だから「そうした不幸な可能性を踏まえるならば、土壌や地下水に含まれる有害物質そのものを技術的可能性と経済合理性の範囲でできる限り引き下げるように環境基準を厳格に設定することがもっとも理にかなっていることになる」(p. 73)。このような環境基準に対する考え方を"as low as reasonably achievalbe"(略してALARA原則)というと紹介している。また、個々の病状に対して因果関係の認定が認められない不幸の可能性を考えると、「平常時において「環境基準を少々上回ったからといって健康被害が生じるわけではない」などと軽々しく発言することだけは厳に慎みたいと思う」と述べている(p. 73)。

 結論としては、そもそも豊洲を移転候補用地にすべきでなかった(p.91)、という、一見するといささか平凡ともいえる結論である。ただ、そこに至る思考過程が重要である。

 まず、すでに述べたように、最初の専門委員会の結論は、妥当なものだった。しかし、当時の農水省が土壌対策汚染法での形質変更時要届出区域を食品卸売市場として不適切だと考えていた以上、<<仮に豊洲の移転を至上目的とするならば>>、東京都が、全敷地の浄化を打ち出したのも不合理とは言えない、ということが明らかになった。ただ、全敷地の飲料水並みの環境基準達成を前提として市場を建設してしまったため、現行の豊洲市場は安全性に懸念が残る状態になってしまった、というのが結論である。

 問題はなぜ豊洲移転が至上命令になってしまったのか、ということである。経済的合理性の範囲内で浄化が可能だと判断されたのか、経済性を度外視しても浄化をせよ、という話だったのか。仮に、東京都が経済的合理性の範囲内で浄化が可能だと判断としたとすれば、すでに東京ガスが失敗しているものを、なぜ東京都は浄化に自信を示せたのか。この辺りは、本書では明らかにされていない。


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