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zoom RSS 小林正樹監督『泉』『美わしき歳月』 - 日本映画

<<   作成日時 : 2017/02/07 07:23   >>

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 小林正樹監督のデビュー間もない作品。小林正樹生誕100周年で松竹より「あの頃映画」コレクションシリーズの一環としてDVD化された。

あらすじについてはこちら
Movie Walker
『美わしき歳月』(1955)
http://movie.walkerplus.com/mv24131/

『泉』(1956)
http://movie.walkerplus.com/mv24541/

 脚本は両方とも松山善三。しかも両方とも当時人気のあった佐田啓二を迎えている。やはりまだデビューから日が浅いだけあって後年の熟練の域には達しておらず、多少演出にもたつきもみられる。

『美わしき歳月』でテーマになっているのは、戦争に伴う挫折経験。この映画である主要人物である今西(木村功)、仲尾(佐田啓二)、袴田(織本順吉)、時岡(=桜子(久我美子)の兄)はおそらく大学の同期であり、彼らは学徒出陣に駆り立てられたものと思われる。その中で時岡は戦死、仲尾、袴田は大きく自分の夢を曲げられてしまった。ひょっとすると袴田はレッドパージにあって工場労働者に身を落としているという設定なのかもしれない。今西だけは、おそらく当初の志通り医師の道を進んでいるのだが、周囲と衝突ばかり繰り返している。
 今西、袴田はアプレ・ゲール的な金さえもうかればよいという風潮に反抗する左翼的モラリストとして描かれる。それは半ば、死んだ時岡に対するサバイバーズギルディ的自己否定でもあり、同時に、鬼畜米英から急にアメリカ一辺倒になった体制に対する反抗心でもある。一方、仲尾は、自分の心の痛みをアプレ・ゲールを装って誤魔化している。本当は内心はモラリストであるのだが、そういう自分自身を罰する=自己否定としてアプレを装っているのである。

 今西は桜子を、仲尾は由美子(小林トシ子)を、そして袴田は今西の妹、紀久子(野添ひとみ)を内心好きでいる。だが男たちは全員いじけている。女性に対し素直にならないという自己否定の罰を与えているのである。そのいじけ度合いが最悪なのが今西で、今日的感覚であればどう考えても桜子はお見合いをした悠二(佐竹明夫)に嫁ごうと思うだろうというところだが、最後に今西が桜子によって肯定されることによって、男たちは救われるのだが、今日的感覚では「なんだかなぁ」という評もあるだろう。

 一方、『泉』のほうは、一応、地域開発問題がバックグラウンドになっている。というと1950年代に既に地域開発問題を扱っているなんて先進的... と思えるかもしれない。ただ、それはあくまでダシに過ぎない。メインストーリーはあくまで男(幾島曉太郎[佐田啓二])と、男を翻弄する美魔女(斎木素子[有馬稲子])との関係が主題である。そして幾島もやはり戦争で片手が義手になるというハンデを負っている。

 幾島から見る素子は、幾島が考えるあるべき女性の姿、規範やモラルから外れた女性であり、ときに幾島はそれをなじる。だがその一方で、あるべき規範やモラルから外れているからこそ幾島は素子に惹かれるのである。幾島の中で素子の姿は勝手に増殖して肥大化し、その素子のイメージに対し幾島は勝手にいじけるのである。
 一方、素子自身は、結局男を頼って、自分の体は売らないながらも、なるべく自分を高く売って綱渡りしながら生きて行くしかない。最初は資産家立花(佐分利信)の秘書ではあるものの、所詮立花の妻に勝てる立場ではない。さらに立花の死後は、高額の給与を条件に、立花家の別荘を引き取った立花が出資していた開発会社の社長、田沢(加東大介)の秘書になる。自分の愛人にならないかという誘いを必死にかわしながら、けなげに勤めているのだが、幾島の妄想では男を手玉に取る悪女にしか見えない。しかし、幾島にとっては自分の理解範囲に収まらない「悪女」だからこそ惹かれてしまうというジレンマがある。そのあたりがうまく描写されている。
 たぶん素子は、幾島の「つまらない」女のステレオタイプにはまるつもりはないし、同時に、幾島にとって自分が魅力的に映っているのは、自分が彼のステレオタイプにはまらないからこそということに自覚的である。一方で、彼女は自分自身に何か実力があって、世の中を渡り歩けているわけでもなく、過剰に幾島が自分自身に対するイメージを膨らませていることにも自覚的である。だから幾島に対して架け橋を掛けることができないのである。

 結局最後の結末は、リアルでありがちなものに落ち着いてしまったことは観客をがっかりさせるか... でも、それが当時のリアルな限界だよね、という気もする。ああいう女性を抱擁できる力は戦後日本のインテリ男にはなかった、ということかと。
 ちなみに幾島の、もう一人幾島に思いを寄せる大里町子(桂木洋子)に対する態度は失礼千万。最後の結末も町子にとっては、一見ハッピーエンドに見えて極めて屈辱的な結末ではないかと思うが... それも含めて当時の限界なのか、それとも脚本の松山善三の問題なのか... 幾島がいじいじしているのも『美わしき歳月』と共通。あるいは両作品の共通テーマとは、戦争体験のトラウマに基づく戦後日本のインテリ男の自信喪失、ということなのか。

 ともあれ、有馬稲子は良い! そして加東大介は、相変わらずヒヒオヤジの役が板についている。





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