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zoom RSS 先進医療=よく治る医療、ではない - 『東大病院を辞めたから言える「がん」の話』

<<   作成日時 : 2016/05/04 20:37   >>

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大場 大 (おおばまさる), 2015,『東大病院を辞めたから言える「がん」の話』, PHP新書

 癌外科医、腫瘍内科医の二つの専門を持つ、癌専門医の東大病院助教として勤務した筆者による書籍。現在はセカンドオピニオン提供を主たる業務とする「東京オンコロジークリニック」を開設して勤務する。いわゆる、近藤「理論」を批判する一人でもある。

 本書はまず、なぜ癌医療不信、いわゆる「がん難民」が出てしまうのかという背景に触れているが、一言で言うと医師の質の格差が広がっている、という話である。
 その中には、インフォームド・コンセントの質が不十分、そして設備よりも医師の質が重要だという理解の不十分、さらに地方の大学病院を中心に見られるがん治療方針における「ローカル・ルール」の蔓延、かつての「名医」も賞味期限があるという現実 (新しい医療情報について行けなくなる)、学歴の高い自称「名医」も信用がおけない現実などが指摘されている。

 また「理性的な医学教育を受けてきた真摯ながん治療専門医たちの知性が、そのような(=がん治療を標榜して高額な自由診療を勧める)民間クリニックという現場に分配されるということは現状ではありえないということです」(p. 57)と論じている (と言いつつ大学病院を辞めて民間クリニックを開いた自分はどうなのかという突っ込みはあるが)。

 さらに、これは重要な指摘であるが、先進医療、先端医療は、必ずしもよく治る医療という訳ではないと述べている。先進医療、先端医療というと標準治療よりも良いような錯覚を与える。標準治療が、「並」あるいは「梅」であれば、先進、先端医療は、「高級」あるいは「松」だというように。しかし、本書の筆者の議論によれば、これは全く間違いだという。標準医療とはその効果や安全性がある程度確かめられており、多くの患者さんにとって最善である治療であるという。一方、先進、先端医療とは臨床研究段階の治療であり、現段階では「安全で有効」であることが十分確立されていない暫定的な治療を指すという(p. 62-3)。
 もちろん、先進、先端医療は高額である。しかし「高額=レベルの高い治療」というのは勘違いであるという。これはおそらく、もちろん医療技術としてはレベルが高いかもしれないが、それは治療としてレベルが高いことを意味する訳ではない、ということを意味するのであろう。従って、高い金を払って、わざわざあまり治らない医療を受けるというばかげたことが起こりうるということである。
 あくまでも標準医療で治らない限られたケースに、やむを得ず適用するのが先進、先端医療であり、「高級医療」として誰にでも勧めるようなものではない、ということである。
 ただ、そのような先進、先端医療設備が無制限に建設ラッシュを起こしている現状に対しては本書の筆者である大場氏は非常に批判的である(p. 70)。つまり不必要な、場合によってはむしろ先進、先端医療が有害な患者にまで、投資回収のためこれらを勧めるような事態を招きかねないということであろう。
 また、当然ながらセカンドオピニオンの重要性も強調している。

 そしてエセ「医学」批判にも一章を割いているが、その中で重要な指摘は、「高濃度ビタミンC療法」をめぐって、ノーベル賞受賞者でも、医学的にいい加減な論文を書いているというという点だ。
 大場氏はその内容について詳細に検討しているが、結局この研究者は化学の業績でノーベル賞を受賞しているものの (おそらく生化学か?)、臨床医学の研究者ではなく、医学的には、極めて研究デザインの質の低い論文であるという。

 大場氏は、なぜノーベル賞受賞者ともあろう者が、そんなデタラメな論文を発表したかについて言及はしていない。仮に大場氏の主張が正しいとすれば、おそらく、私が思うには、アメリカでは業績発表圧力が凄まじいので、まともな論文ももちろん発表するのだろうが、とりあえず業績の本数稼ぎとして、かなりレベルの低い論文も発表するということが横行しているのではないだろうか。だが、それがノーベル賞受賞者のお墨付きということで拡散し、エセ「医学」の横行に手を貸しているのであろう。
 アメリカの科学の先端部分はもちろん水準は高いのだろうが、平均的な水準が高いのかどうかは私は疑問である。だがアメリカの科学=先端というイメージで米国発、ノーベル受賞者発、ということでかなり怪しい部分も含めて信じられてしまっているのではないだろうか。STAP細胞事件も背後にはこの問題があるのではないか。

 またやはり米国発の「がんが自然に治る」系のオカルト本も本書で取り上げられている。この筆者は博士号を取ったらしいのだが、専門は「腫瘍社会福祉学」。つまりがん患者のカウンセリングが専門で、医学ではない。しかも原本のプロフィールには、integrative oncologyの研究者とあるがこれはがんの民間療法を示す言葉であるにもかかわらず、日本語訳には「腫瘍内科学」と(意図的に?)誤訳されているという。
 ただ、この筆者のオカルト本はアメリカでもヒットしたらしい。その背景として大場氏は次のように指摘してる。「保健医療制度の恩恵によって、本来は高額な治療を安価に受けることが当たり前である日本とは異なり、医療費という大きな経済リスクを背負わなければ行けない米国社会だからこそ、信仰やスピリチュアルのようなものに傾倒しやすい病理が存在していることを吟味する必要があります」(p. 109)
 つまり国民皆保険制度がないアメリカだからこそ、一般人の医療リテラシーは日本より低い、しかしアメリカの医療=先端という思い込みが、米国発の医療オカルトまで日本に蔓延させている、という話であると思う。

 このほか、終末医療としてのモルヒネの重要性、抗がん剤と手術に対する基本的な考え方 (治らない人にも抗がん剤投与や手術をする必要があるのか)、そして近藤誠「理論」批判を中心とするメディア批判 (センセーショナリズム好み) なども指摘しているが、詳細は割愛する。

 この中では抗がん剤や手術に対する基本的な考え方について特に参考になるだろう。概ね納得のいく、妥当な議論のように思われた。


 ただ最後に大場氏の議論に気になる点を指摘しておきたい。大場氏の議論の中には社会民主主義的なリベラリズムに対する批判的な論調がいくつか見え隠れする。

 例えば国民皆保険制度に批判的な指摘が何カ所か出てくる (p. 53-55, 71-73)。特に、国民皆保険制度を守るべきという堤未果氏の議論に批判的だ。彼の国民皆保険制度への批判は、医者の質を問わなくする (あるいは医者の技量の差を見えにくくする)、という点と、コストパフォーマンスを問わずムダな高額医療を蔓延させる、という点にあるようだ。もちろん、大場氏の批判の意味はわかる。だからと言って国民皆保険制度を止めれば解決する問題ではないだろう。
 例えば、自身がp. 109で指摘しているように、アメリカでは医療の高額さから多くの医療を受けるべきアメリカ人がオカルトなどの「非」医療に流れざるを得ない実態がある。あるいはアメリカでは曲がりなりにも制度的な医療の枠に入る限りでは平均的に日本より良質な医療を受けられると仮定したとしても、制度的な医療をはみ出した、あるいは制度的医療から経済的理由で拒絶された「非」医療に流れざるを得ない多くの患者を含めた、平均的な広義の「医療」(民間療法等も含めた)の質を考えると、その平均的な質は日本よりはるかに低いのではないだろうか。
 大場氏もまた、アメリカの先端、あるいは良質な部分に着目して、その底辺、または平均が見えない病にとらわれているのではないだろうか。
 もちろん国民皆保険制度には改善すべき点は多々あるだろう。だが守らなくて良いという大場氏の見解には同意できない。

 もう一点は、『日本を覆う「ゼロ・リスクシンドローム」』と題する一節で次のような指摘を行っている。「『手術に殺される』『抗がん剤に殺される』『病院に殺される』のような言説が、リスクを極端に煽ることで広く一般に受け入れられているとするならば、それはリスクがゼロでないと気が済まない「ゼロリスク・シンドローム」がイデオロギー化している、この国独特の国民性、社会性に要因があるともいえないでしょうか。安全保障関連法案や原発再稼働に対して反対を唱えることは結構なのですが、デモ行進による訴えやメディアから発信される言論をみても、ヒステリーに似たエモーショナルな叫びやフィードバックのない破壊的な批判のみが目立つように感じます。理性的な議論が不可能な思考停止が、いたるところにみられるように思えてならないのです」(p. 96-97)

 なるほど。思考停止に対する批判は良くわかる。だが思考停止は「安全保障関連法案や原発再稼働に対して反対を唱える」ことだけだろうか?安倍首相の「アベノミクス、この道しかない」や「日本国憲法はアメリカの押しつけだから変えるべき」という主張も思考停止ではないか?

 そもそも「原発再稼働に対して反対」が思考停止というが、そもそも「原発は絶対安全」という思考停止の元、54基も原発を作ってしまった政府に対する対抗として生まれたものである。そしてその政府の思考停止は原発事故によって暴露された。それに対し、何の説明もなくやみくもに、原発はベースロード電源として位置づけるという安倍政権の方針もやはり思考停止ではないのか?

 原発は、そもそも利用後の放射能処理の方法が確立されていない。しかも、福島原発事故で明らかになったように事故処理技術さえ全く未確立である。もちろん原発なんて見たくない、原発の研究も含めて止めろ、と言えば思考停止だろう。しかし、こんな技術的に未確立なものをベースロード電源として位置づけることこそ思考停止ではないのか。

 大場氏は、臨床研究段階である先端医療装置建設ラッシュを批判しているが、原発は正にこの臨床研究段階にある先端医療装置と同じと見なして良いだろう。従って、臨床研究段階である先端医療装置建設ラッシュを批判する大場氏が思考停止なら、原発を批判するのも思考停止と言えると思うが、如何であろうか?



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