yohnishi's blog (韓国語 映画他)

アクセスカウンタ

zoom RSS 2020年大学入試改革のうさんくささ - 石川一郎『2020年の大学入試問題』を読む

<<   作成日時 : 2016/04/03 14:23   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 単なる暗記型ではない大学入試を、というかけ声の下に進められる、2020年に目指されている大学入試改革。私は文部科学省の目指すこの大学入試「改革」をかなりうさんくさいものだと疑いの目を持って見ているが、その改革の方向を先取りする形で様々な試みを行っているという、かえつ有明中・高校長、石川一郎氏の著書。

 端的に言うと、石川氏の主張は分からなくはないのであるが、だからと言ってこの方向で日本の大学入試改革をやって大丈夫か、というとますます疑問が深まったというところである。

 石川氏の目指すところは要は米国型の大学入試をやれ、という話なのであるが、その中で、石川氏の目指す大学入試は正解がない、と何度も言う。でもそう言いつつ、やはり正解はあるという気持ち悪さである。
 つまり、単一の正解はないのだが、やはり正解はある。それはどういうことかというと、正解の基準が特定の回答だったものが、特定の能力 / スキルを身につけているか、というところに移ったのである。従ってそのスキルに従って出した回答には高得点を与えるが、そのスキルから外れている回答は低得点となる、ということなのである。そして、どのようなスキルを身につけているべきかという正解は依然としてあるのである。

 そこで、前提とされている教育観とは、人間の能力 (地頭力と言い換えても良い) は、スキルのテクニックとして分解可能であり、テクニックとして教育可能である、という要素分解型教育観である、とともに、そのような能力 / テクニックは大学入学前に予め身につけておくべきものであり、大学入学後に身につけるものではない、という教育政策的考え方である。

 現在の教育システムは、高校までは正解のある回答が求められるが、そこには、高校までの段階ではリテラシーや基礎知識を重視する一方で、単純な「正解」で計れない不定型な能力は大学で身につければよい、という考え方に(意識する、しないを問わず結果的に)なっているといえるだろう。それとともに大学以降で身につけるこのような高度な能力を要素分解して管理するのではなく、分解できない個々人の固有のものとして結果的に尊重する (放任とも言えるが) 形になっている。ある意味そこに個人の人間性の尊重があるとも言えると思う。

 それを石川氏は、その部分も分解してクオリティコントロールすべきだと主張しているのであり、卒業生を人間と言うよりも産業「部品」としてクオリティコントロールするという発想に立っているように思える。しかもその部分は大学入試前に身につけろという話である。

 これはますます小中高でどれほど豊かな教育を受けられたかによって格差を拡大すると共に、恵まれない学生・生徒が大学で逆転する機会を失わせる方向ではないのか?

 もちろん、私立学校の校長として、自校の付加価値を高め、教育市場における競争力をつけようという石川氏の努力や発想を否定するものではない。しかし、それと、それを全体の教育政策として採用すべきかどうかは別の話ではないのか。

 それと石川氏の議論がトップクラスの大学に偏っている点も気になる。もちろんトップクラスの大学競争として日本の大学が欧米の大学に負けているかもしれない (それも個人的には疑問だが)。だが、OECDデータによると、アメリカの平均大学退学率は過半数を超えている。トップからボトムまで考えたときに、トータルでアメリカの大学教育システムが上手くいっているとはとても思えない (高額の授業料の割に低い卒業率!)。

 さらに、日本では大学入試の公正性が非常に重視される。しかしアメリカでは必ずしも入学試験の公正性が重視される訳ではない。例えばアメリカの一流大学では社会的に不利なマイノリティに対するアファーマティブアクションとして、入学時にマイノリティ枠を設け、白人学生よりも低い点数で入学できる特権を与えている。また、中国共産党の高級幹部の子弟が軒並みアメリカの一流大学で学んでいることが知られているが、おそらく多額の寄付金と引き替えに入学させているのであろう。そもそもアメリカの大学では留学生の学費は一般学生よりもべらぼうに高い。
 日本で言えば、在日朝鮮人に一般の日本人よりも低い点数で入学することを認めたり、いわゆる「裏口」入学を認めているようなものだ。そのような延長の上に1点刻みで入学を判断しないアメリカの大学のアドミッションポリシーがあると言って良い。しかし、ただでさえ単なる都市伝説に過ぎない「在日特権」が「糾弾」される日本でそんなものが認められるだろうか。
 ただ、それらがアメリカで正当化されうるのは、アメリカの大学は入学できても卒業は保証されないからである。つまり、そんなにうちの大学に入りたいなら、機会はあげるし、徳俵も認めてあげるけれど、その分人一倍努力しないと卒業できないよ、という次元で正当化されるのである。

 従って、日本でもこのような政策が認められるには、各大学の目標退学率を20-30%程度に引き上げない限り、到底社会的に正当化され得ないであろう。

 ただアメリカの大学で高い授業料と高い退学率がなぜ両立するかと言えば、給付型奨学金の比率が高いからである。そしてその給付型奨学金のかなりの部分に兵役退役者に対する奨学金が含まれている点にも注意したい。だからアメリカは経済的徴兵制と言われるのである。

 あくまでも教育学的議論として能力を分解して研究するのはよいが、それを教育政策に直結させて考えて良いのかどうかは大いに疑問である。
 それは経営学における、選択と集中を行っている企業が経営を成功させている、という議論と、だからと言って、選択と集中を目指した経営を行った企業が成功するかどうかは別問題という次元と同じである。選択と集中経営のモデル企業と言われたシャープの現在の、ていたらくを見よ。

 ちなみに、本書の冒頭で、2015年1月順天堂大学医学部入試で、イギリスロンドンのキングス・クロス駅の写真を掲示してだされた<キングス・クロス駅の写真です。あなたの感じるところを800字以内で述べなさい>という問題を2020年大学入試を予兆する衝撃的な問題だと提示しており、この写真を、本書のカバー絵に採用していると述べているのだが、本書のカバーに何の写真も提示されていない。

 2020年の大学入試は小手先のテクニックで解ける問題ではない、と言いつつ、やはり結局はテクニックの問題に逢着させている (「小手先」ではないのかもしれないが) 本書を象徴するものと言えよう。


石川一郎, 2016,『2020年の大学入試問題』, 講談社現代新書




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
2020年大学入試改革のうさんくささ - 石川一郎『2020年の大学入試問題』を読む yohnishi's blog (韓国語 映画他)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる