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zoom RSS 金本位制は恐慌に無効と指摘していたマルクス

<<   作成日時 : 2015/06/27 22:49   >>

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 現在『資本論』の第3部を少しずつ読んでいるところ。33 (信用制度のもとにおける流通手段) -34章 (通貨主義と1844年のイギリス銀行立法) あたりでなかなか面白いことを言っている。

 第34章では、1844年のイギリスの銀行条例 (イングランド銀行を国の中央銀行と規定すると共に、金本位制を定めた) の、特に金本位制を口を極めて非難している。
 当時 (そしてその後も1929年の大恐慌当時まで) 恐慌対策として金本位制を厳格に守ることが有効とされ、不況や恐慌が起きるたびに金本位制を厳格に維持しようという政策が行われていた。
 それに対して、マルクスは恐慌の時に金本位制を厳格に守ろうとするのは、恐慌を悪化させる以外の何物ではないと、痛烈な批判を加えている。マルクスが金本位制を批判するのは次のような理由からである。恐慌が起きる主要な原因の一つは信用収縮であり、金本位制を厳格に守ろうとするのは、さらに信用 (貨幣流通量) を縮小する以外の何物でもないので、恐慌をさらに悪化させるだけだというのである。
 この指摘は正しく、非常に先見の明がある。今日、1929年の大恐慌の主犯の一つに数えられるのはチャーチルが実施したポンドの金本位制復帰政策 (1925年) であるし、日本でも、明治期の松方デフレ (金本位制厳格化による信用収縮に伴うデフレ) による不況、さらに1929年の大恐慌後は井上準之助蔵相が実施した金本位厳格化政策 (金輸出解禁 = 1930年) による不況で、井上蔵相は国民の恨みの対象となり、1932年の血盟団事件では暗殺されてしまう。そして日本はその後登板した高橋是清蔵相による、信用収縮を伴う金本位制厳格化とは正反対の (つまり信用 / 通貨流通量の拡大) 高橋リフレ政策 (これはほぼ今日のアベノミクスと同じ) により、日本は世界最速の大恐慌からの復帰を遂げるのである。
 逆に言うと世界の経済施策担当者たちは大恐慌が終わるまで、恐慌の主な原因の一つは信用収縮であるということに気づいていなかったということである 1)。

 マルクスはなぜ恐慌の主因の一つに信用収縮があると気づいたのか?マルクスの説明では、こうである。交易 (特に世界貿易) の中で、実質上通貨の役割を果たすのはいわゆる現金通貨 (金本位制の当時は、現金とはすなわち主として金や銀の貴金属を意味するのに等しい。銀行券 [紙幣] は、貴金属との交換証書であったのだから) だけでなく、信用 (たとえば手形決済や輸出入の相殺決裁、さらには貴金属現金との交換を約束した銀行券をも含むであろう) が、実質、通貨として大きな役割を果たしている (このことについて、マルクスの記述を読むと、当時の主要な経済政策担当者や経済学者は気づいていなかったようだ)。

 従って、不況、恐慌になるとその信用が大きく毀損する。つまり、手形が不渡りになるのではないか、交易相手が倒産するのではないか、銀行が倒産して銀行券が紙切れになるのではないかという心配から、信用による決済を回避し、現金による決済を行おうとするのである。信用が実質通貨の役割を果たしていることを考えると、この信用収縮は実質通貨流通量を減らすことに等しい。このような通商・交易の不調から企業倒産も増え、それが信用収縮をさらに呼び、ますます経済状況は悪化するという悪循環になる。
 そこで減ってしまった信用を補うために必要になるのが、信用度の高い (つまり倒産する可能性のほぼない) [中央] 銀行による信用供与=銀行券の発行を増やし、信用収縮を救済することである。そのとき、この中央銀行の絶対的な信用の源泉は何かというと、国民に由来する。

 ところが、金本位制への厳格復帰 (銀行券の発行限度額を銀行手持ちの金銀の量の範囲内に厳格に抑える) は、中央銀行券の供給を減らすことになる。信用 (=実質通貨) が足りないのに、銀行券の発行量を減らしては、ますます信用収縮を加速させるだけで、さらに恐慌へと突き進むだけである。

 以上が、マルクスの金本位制論者批判の要旨である。

 ではなぜマルクスはいち早く金本位制の問題点、そして恐慌の主要因の一つに信用収縮があると気づけたのだろうか?

 まず指摘できることは、マルクスは根本的にマネタリーベース (しかも当時、これは主として貴金属通貨の流通を指していた) で経済を捉えることに批判的だった。彼にとって経済とはまず社会活動であり、マネタリーベースで現れるのは、経済活動の一部分に過ぎないと考えていたと思われる。実際、資本論第1部で、貨幣とは物象化されたものと指摘し、貨幣に対する物神崇拝 (フェティシズム) を激しく批判している。貨幣とは社会 (経済) 活動の反映に過ぎないと考えれば、当然、それらの社会・経済活動のすべてが貨幣に反映されるとは限らないとも考えられるだろう。

 マネタリーベースの発想から離れてみた (当時紙幣 [銀行券] も今日の「現金」ような物象化された存在でなかったであろうことに注意)からこそ、貴金属通貨でない様々な信用 (もちろん銀行券も含むであろうが) も通貨の役割を果たしていることにいち早く気づけたのではないだろうか。そして、同時にそのような信用が実は人々の社会活動に根拠を置いていると言うわけである。それと同根の発想が価値の根拠が労働者の労働にあるとともに、富の蓄積は労働から生まれる剰余価値の労働者からの搾取にあるという議論であろう。

 また、マルクスは、担保を取っての融資は信用創造ではないとの指摘も行っている。確かに。預金者から金を集めて、ノーリスクで融資をするのでは、流動性創造になるやも知れないが、信用創造ではないというのは一理がある議論である。これも資本の社会性に着目した視点であろう。

 言うならば、マルクスの発想は一種の経済社会学的なものであったのである。だからこそ、マルクスは、恐慌の主要な要因の一つに信用収縮があるといち早く気づけたのではあるまいか。

1) もちろん、当時の政策担当者は金本位制厳格化政策自体は通貨流通量の収縮を招き、一旦デフレ不況になるということはわかっていた。ただデフレになれば為替の切り下げと同じ効果が出て輸出競争力が高まり再び景気回復の軌道に乗ると考えられていた。また為替の安定化という目的もあった。そのため、金本位制厳格化政策に伴うデフレ不況は、再度強い経済をとり戻すためのやむを得ない関門と考えられていた (このあたりは、例えば、井上準之助、浜口雄幸を描いた城山三郎の小説『男子の本懐』の序章にわかりやすい説明がある)。
 ただ、マルクスが指摘した問題はマネタリーベースの通貨流通量収縮以上に、信用毀損に伴う信用収縮が起こり、名目的通貨流通量収縮以上に実質的 (あるいは当時の発想に立てば仮想的と言うべきか) 通貨流通量収縮が発生し、それがマネタリーベースで評価しきれない実体経済に取り返しのつかないダメージを与えることが恐慌を深刻化させるのではないか、ということなのである。





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