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zoom RSS 龍應台,2012(2009),『台湾海峡一九四九』 - 書籍

<<   作成日時 : 2013/12/29 11:56   >>

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龍應台,2012(2009),『台湾海峡一九四九』,天野健太郎訳,白水社(原著:龍應台,2009,『大江大海1949』,天下雑誌社)
 1949年、国共内戦に敗れた国民党政府・軍およびその支持者や家族たちは大挙して台湾海峡を渡り中国本土から台湾に逃れた。当初、日本の敗戦と国民党軍の進駐を、日本からの「光復」と喜んだ台湾の人々は、後にこの交代を「犬が去って豚が来た」と表現することになる。
 日本支配以前から住んでいた台湾の人々からすれば、権力と暴力で戦後台湾を支配した横暴な豚とされた彼らであるが、しかし彼らが個々の人間として一体どのような気持ちで台湾に渡ってきたのかを描いた文献は、少なくとも今まで日本で紹介されたことはなかったように思われる。台湾ではどうか分からないが、本書は日本で紹介される初めてのそのような作品であると共に、単に台湾に渡ってきた人々の身上に踏み込むのだけではなく、それを迎える側であった、日本の植民地支配を経た台湾の人々の心情、さらには彼らの植民者であった日本人の心情まで踏み込んで紹介する作品。以前紹介した『セデック・バレ』同様、それまでの公式な中国人としての台湾アイデンティティ[外省人系] vs. 非公式な台湾人アイデンティティ(日本に対し代償アイデンティティを求める動きを含む)[本省人系]という不毛な対立に終止符を打ち、新しい台湾のアイデンティティを探り、再構築しようという一連の文化運動の一環と見ることが出来るだろう。

 本書は、我々が知らなかった、もしくは気づかなかった視点が満載。幾つか例を挙げてみよう。
 国境内戦時、国民党軍兵士、共産党軍(八路軍)兵士として戦った人々は、もちろん信念を持ってそれぞれの軍に参加した人もいたが、実は兵士不足の軍に拉致されて、あるいは貧しさや、戦争による自分の住んでいる地域の破壊によって生活していくことが困難となり、自分が食べていくためにたまたまその軍に参加したという人が大半であったという事実。だから不本意に国民党軍に参加させられ、そのまま不本意に故郷から切り離され国民党軍と共に台湾まで渡ってきた人々も少なくなかった。またあるときは八路軍で、今度は捕虜になって今まで銃を向けていた国民党軍に参加させられ八路軍と戦う(あるいはその逆)というケースも多々あった。八路になるか国民党になるかはほんの偶然。しかし蒋介石は「死して敵の捕虜になるなかれ」と兵に日本式の檄を飛ばす矛盾。ちなみに台湾省行政長官として2.28事件を引き起こすきっかけを作った陳儀(1883-1950)も日本の陸軍大学を卒業していた1)。

 長春は満州からの日本の撤退の後、国民軍と解放軍の取り合いの対象となる。1948年3月、国民党軍によって占拠されていた長春は、解放軍による包囲戦が始まり、半年にわたって補給網が絶たれた。包囲戦開始前50万人いたとされる長春の人口は、半年後解放軍が無血開城すると、17万人に減っていた。長春の人口の内30万人余りが「蒸発」していた。この、南京大虐殺に匹敵する、あるいはそれ以上の30万人余りの餓死はほとんど誰にも知られていない。

 台湾の人々は、基隆に到着した国民党軍のみすぼらしい格好と無秩序ぶりを見て、失望の念を禁じ得なかったというが、中国本土における過酷な数次にわたる転戦に、彼らは疲弊しきっており、どうしようもなかったのである。そんな国民党軍を、蔑むような目で見る台湾人に対し、「国民党軍はあんな酷い装備で日本人に勝ったんだ。すばらしいことだ。我々は敬意を持って彼らを見るべきじゃないか」と言ったのは、1946年当時23歳だった、東京から台北に戻った共産青年、岩里政夫だった2)。そう言った彼が後に戻した中国名は、なんと李登輝。

 「さよなら、再見」を著わした台湾の国民作家、黄春明(1935- )は1945年8月15日、光復をよろこびにこやかな祖父と、日本の敗戦にがっくり肩を落とす父の間に挟まって、目を白黒させていた。

 そして、国民党軍の敗戦も、民衆からの支持を得られなかった(国民党軍は多数の小作人を抑圧する少数の地主の立場を支持するものであったから当然である)という単純な事実から帰結する。

 満州に渡った台湾人は「第二日本鬼」と呼ばれ、敗戦後の混乱の中で、地元の人々に殺された。辛うじて客家語や中国語で「私は台湾人です」と叫んだものだけが辛うじて殺されずに生き延びられた。

 本省人の目から見れば、横暴な権力者であった外省人であったが、外省人の視点では、地域にしっかり根を下ろし様々な社会的資源を持つ羨むべき豊かな本省人。それに対し外省人は漂泊の存在。帰るべき故郷も墓も持たなかった。

 そして台湾に駐留してきた国民党軍に応募して、大陸に送られ、そこで戦闘の結果捕虜となり、今度は八路軍兵士にさせられて大陸に残った、全く中国語が分からなかった台湾少数民族の陳清山と呉阿吉。一方それより年長の[木可]景星、蔡新宗は、1943年日本軍に志願兵として加わり、南方に送られる。彼らはそこの捕虜収容所で捕虜の監視に当たるが、敗戦後戦争犯罪に問われる。

 そして金門島に住んでいて、魚を売りに行くために目の前のアモイに渡ったある日、とつぜん戦争が勃発しそのまま家に帰れなくなった呂愛治。彼女は身寄りのないまま1954年に老人ホームに収容され、以来そこで暮らしている。

 ともあれ、ステレオタイプの本省人、外省人、先住民など出てこない。彼らは日本人、中国人、台湾人、先住民、国民党軍、共産党軍、あらゆる人種や民族アイデンティティの境界を揺さぶり続けられ、大義も分からぬまま過酷な戦闘に参加させられる、漂泊の存在である。そのような様々な要因がごった煮のように混ぜ合わされた台湾という現実。そしてその台湾の現実の中に、著者の言葉によれば「日本は、まるでしっかり縫い込まれた糸のように、全体の像の凸凹の内に存在している」。


 印象に残ったエピソードを一つ。それは著者の息子フィリップの伯父に当たるドイツ人ハインツのエピソード。彼はドイツが負けてアメリカ軍が進駐したとき、村にやってきたアメリカ軍の戦車に向けて石を投げた。するとアメリカ軍人はドイツ人の子供たちに何かを投げ返した。拾ってみるとチョコレート。ドイツの子供たちは石を全て捨て、夢中でチョコレートを拾った...

 少なくともインティーファーダで石を投げるパレスチナの少年たちに、イスラエル兵はチョコレートを投げなかったことは確実である。

1)本書訳注より。
2)このエピソードの原典は梵竹,2000,「一張高爾夫球場会員証的故事−訪何既明先生」『共産青年李登輝−二進二出共産党第一手証言』苗栗紅岩出版:166




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