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zoom RSS 書籍 『特攻隊振武寮 -証言・帰還兵は地獄を見た』

<<   作成日時 : 2013/07/04 22:29   >>

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大貫健一郎,渡辺考.2009.特攻隊振武寮 -証言・帰還兵は地獄を見た. 講談社
 元特攻隊帰還兵で、ミュージシャン大貫妙子氏の父君である大貫健一郎氏の証言を核に、NHKディレクター渡辺考氏の取材内容を補完して構成した書籍。元々はNHKスペシャルとして作られた番組の書籍版。
 軍神としてあがめられた特攻隊員が、一旦攻撃に失敗して生存して戻ってくると、一転して国賊として扱われた不条理を記録している。

 台湾で暮らしていた大貫氏は、本土に渡って拓殖大学に入学、しかし大学を繰り上げ卒業となり、1942年10月陸軍に召集される。小倉で訓練兵生活を送る中、どうせ死ぬなら歩兵としてぼろぼろに死ぬより、空中で派手に死んだ方がとの思いから、1943年6月、特別操縦見習士官制度(特操)第1期に応募・合格。飛行訓練の後1945年2月陸軍の特攻部隊、第22振武隊に配属された。そして1945年4月4日、知覧基地から沖縄に向けて特攻出撃するものの、米軍機の攻撃を受け被弾し、徳之島に不時着する。
 制空権の失われた奄美群島から這々の体で、5月に福岡に帰着すると、特攻の生き残りを収容する振武寮に押し込められ、散々罵声を浴びせられ、精神的拷問を味わわされるなか、上層部への反発の心も抑えがたくなる。そのころ、大貫氏は既に死んだものとして台湾の実家には戦死公報が届いていたのであった。その後振武寮を出て本土決戦特攻要員として待機の日々を送り(もはや特攻させるための飛行機もろくにない状態だった)終戦を迎える。

 本作の指摘しておくべき点としては、まず大貫氏が軍上層部の考え方に疑問を持つ契機になったのは、特攻作戦が、いかに敵を攻撃するかが目的ではなく、もはや兵を死なせることが目的化しているのではないか、という点。
 まず、1945年2月に始まった特攻訓練で、特攻がきわめて難易度の高い困難な攻撃であるにもかかわらず、それに見合う生産性があるとは思えず、「こんなことをするために戦闘機乗りになったわけじゃない」という厭戦意識が芽生え始めた点(同書p.94-5)。その気分に、とうてい特攻隊員の心情を思いやっているとは思えない脳天気な特攻マニュアルが火を注ぐ。
 さらに決定的だったのは、出撃当日、雲が多く視界が効かないにもかかわらず、遮二無二突っ込めと命令されたこと。訓練当初から相当の好条件がない限り戦果を上げることができない、ということが分かっているにもかかわらず、司令が、攻撃の気象条件を調べようともせず、しかも援護機もつけない(特攻機は爆弾の重さ故、弾丸も積まず、自分の身を守れない丸裸状態なので、制空権を失った沖縄上空では米軍の攻撃から身を護ってくれる援護機の護衛が必要だった)という事態に(同書p. 158-160)、自分たちには戦果を上げることが期待されているわけではなく1)、ただ戦闘指揮所によって無意味に犬死にさせられていくのだ、と感じられたのだろう。
 そして、だめ押しとなったのは、特攻の死に損ないとなって振武寮に収容されたとき、学徒出身者を嫌い抜いていた(大学卒は生意気である... ということ)倉沢参謀から罵声を浴びせられ、「お前らは絶対特攻を解かないからな。再出撃で必ず死んでもらう」と言われたこと。これを契機に大貫氏は天皇陛下や国のために死ぬのではなく、身近な家族や友人たちを守ることこそが国を守ることだと思い至る(p.220-221)。

 このように、最前線にいる当事者にとって、軍の展開した無謀な作戦は理不尽で腹立たしい怒りの対象であり、そしてその指揮官に対しては恨みの感情を抱くことは当然であった2)。

 とはいえ、残された遺族にとって、自分の家族が、死なせることが目的の殺されたも同然の犬死にを迎えたという事実は、直面したくない事実でもあった。あくまで、遺族たちは、自分たちの慰めとして、家族が敵艦に突っ込んで戦果を上げた名誉の戦死と信じたかった。
 そのため、大貫氏が生き残ったものの責任として、せめて戦死者の真実の死の模様を伝えたいと、遺族たちを訪ねていったとき、美化された死の(知りたくもない)真相を暴くものとして遺族から大きな抵抗を受けたこともあったことを記している(同書 p.261, 266-7)。

 このように見てくると、靖国神社のロジックというものは、せめてもの慰めを得たい遺族の気持ちと、戦争を美化することで自分の戦争責任をごまかしたい指揮官たちの思惑の合致の上に組み立てられている一方、それは決して、前線に放り出され、生死をさまよわされた元兵士たち当事者の思いの上に立つものではないことが明らかである。そしておそらく戦死させられた兵士自身も決して喜んでいない、むしろ彼らの犠牲に対し傷口に塩を塗りこむようなものではないだろうか。

 特にA級戦犯について考えてみよう。例えば生きて虜囚となることなかれと「戦陣訓」を垂れた東条英機の場合、その彼自身は、死に損なっておめおめと敵の虜囚となった。それに対し前線で生死の境をさまよった元兵士たちは、範を垂れた当事者自ら範を守れなかったことに、おそらく大いに憤りを覚えたであろう。そして彼が絞首刑に処せられたことに、多くの戦争当事者たる元兵士たちは、「ざまぁみろ」との感慨を持ったのではあるまいか。

 そのA級戦犯を靖国神社に合祀したことは、前線で死んだ死者たちへの、そして非常な前線から生還した元兵士たちへの冒涜に他ならない。おそらく無謀な作戦で殺された英霊はA級戦犯の合祀を何よりも悔しがっているだろう。無謀な戦争を指揮する側であったA級戦犯合祀は、中国や韓国に配慮して、止めるべきなのではなく、何よりも無謀な作戦で簡単に死に赴かされたり、生死をさまよわされた人々への冒涜であり、同時に無謀な作戦を命令した側の責任逃れを助けるものであるからこそ、止めるべきなのだ。

 なお、本取材のたたき台となった林えいだい氏の努力にも高く敬意を払いたい。

1)これは以前紹介した「おじいちゃんと鉄砲玉」でも祖父が軍上層部に疑問を持つきっかけになったのが、戦果を上げることに最善を尽くそうとせず、融通の利かない官僚機構のためか、司令官のメンツのためか、ただただ末端の兵に無謀な作戦を強いたことだったのと共通する。

2) 例えば同書 p.255-6に戦争責任のある司令官たちにいち早く恩給が復活しかれらがのうのうと暮らしていること、そして彼らの責任逃れとしての特攻の美化に対する怒りの表明がある。また振武寮の倉沢参謀は、戦後も元部下から深い恨みをかっていることを自覚し、護身用の拳銃を80歳になるまで肌身離さず持っていたことも取材によって明らかになっている(p.281-3)。


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