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zoom RSS 北村兼子と朴敬元

<<   作成日時 : 2010/06/23 23:06   >>

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 6月19日付朝日新聞土曜版を見ていたら、磯田道史氏が歴史上の人物の言葉を紹介するコラム「磯田道史のこの人、その言葉」の中で北村兼子について言及していた。北村兼子は1931年27歳の若さで盲腸手術後の腹膜炎のため早世した、女性ジャーナリストでもあり女性飛行家でもあった人物。彼女の最後の著書『大空に飛ぶ』でその後の日本の命運を驚く程透徹した視線で予言していた人物として紹介されている。磯田氏のコラムの一部を引用しよう。

「昭和日本の運命をおそろしいほどに予言。これからは航空機の時代だ。<米国が二千の飛行機を飛ばしてくるのに日本は肉弾で行く>戦いをやるだろう。きっと<一村一郡一国一州の生類を瞬間に根絶せしめるだけの大仕掛けな発明>がなされる。第一次大戦の<百倍の死者を出す>戦いになる。<日本はアメリカの軍艦を恐れるよりも資本を基とする金融侵略に戒心>すべきだが、そのアメリカも<金のために病>んで衰兆をみせる、などと予言していた。予言のぬしは法学・国際情勢に通じ昭和初年に飛行機の操縦まで出来た人物。しかもうら若い女性。この本を残して27歳で逝った。」

 実はこの北村兼子、朝鮮人最初の民間女流飛行家、朴敬元と交流があったことが、朴敬元の生涯を描いた加納実紀代氏の著書、『越えられなかった海峡』(1994, 時事通信社)の中で紹介されている。彼女は朴敬元のために色々奔走した人物でもあり、朴敬元を描いた韓国映画『青燕』に出てくる木部雅子なるキャラクターの半分のモデルとなっている。北村が学んだ飛行機学校も朴敬元と同じ日本飛行学校立川分校1)。
 ちなみに木部のモデルの残り半分(主にライバルとしての側面)は朝鮮出身の内地人、木部シゲノで、彼女は朝鮮の鎮南浦の出身(但し生まれ自体は福岡県2))。卒業した飛行機学校も異なる。加納氏の著書によれば、彼女は故郷の鎮南浦(平安南道、現在北朝鮮)と日本との航空便開設を夢見るなど、朴敬元とは「朝鮮最初の... 」のタイトルを掛けて争うライバルだった様だ。生粋の朝鮮人だった朴敬元は、朝鮮出身とはいえ内地(日本)人の木部に相当のライバル心があったであろうことは想像に難くない。

 加納氏の著書で、北村兼子の飛行家としての側面は知っていたが、卓越した視線をもったジャーナリストとしての側面は磯田氏のコラムで初めて知った。備忘録としてここに記しておきたい。


1)大谷渡(1999)「北村兼子―炎のジャーナリスト」(東方書店)参照

2)豊前人物史 木部シゲノ (福岡県豊前市公式ホームページ)参照
http://www.city.buzen.fukuoka.jp/jinbutsu/kibe/kibe.htm

『青燕』映画評
http://yohnishi.at.webry.info/200909/article_3.html


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